第62番 ほう   じゅ    じ

ご詠歌
さみだれの あとにいでたる たまのいは
しらつぼなるや いちのみやかな



伊予小松町の中心、国道沿いに寺はある。
 当初は聖武天皇の勅願により伊予一宮の法楽所として中山川下流の白坪に建立された。そして金光明最勝王経を奉納し、僧道慈を任じて講読させた。その後弘法大師は寺に長く留まり、光明皇后にかたどって十一面観世音を彫刻して本尊とし、寺号を宝寿寺とされた。そのころ国司越智公の夫人は難産で大師に祈祷を乞われた。大師は境内の玉ノ井の水を加持して夫人に与えた。その結果夫人は若君を安産し、玉澄と命名し「さみだれのあとに出でたる玉ノ井は、白坪なるや一ノ宮かな」と詠じられ、この歌を献納した。それ以来安産の観世音として信仰をあつめた。白坪にあった寺は洪水のため堂宇が破損したので天養年間に修復され、山号は天養山となったが、その後荒廃し、寛永年間に一柳氏が現在地近くに移建し、四国遍路の行者宥信上人が再興した。明治に入って廃寺となるが、同十年に大石龍遍上人が再建している。
本尊真言
おん まか きゃろにきゃ そわか


名称 天養山 宝寿寺
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面観世音菩薩
住所 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
宿坊なし












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