岩城郷土館 【 旧島本陣跡 】 この岩城郷土館はその昔、伊予松山藩の島本陣が置かれていた三浦邸であった。年を経て、建物の老朽激しく存続が危ぶまれていたとき、三浦家から村が寄贈を受け、昭和56年9月末日に村費2,000万円を充当し、その一部を往時のままに修復したもので、昭和57年4月1日、岩城郷土館として開館したものです。
三浦家は、永正8年(1511)京都船岡山の合戦において三浦小三郎義胤が戦死し、その三男新衛門丞義高が備後三原から当地に移住し、天文16年(1547)死亡後も連綿として続き、18代当主三浦敏夫氏に至るまで内海にあまねく知られた名門であった。その広大な郡宅は、藩政時代に島本陣にあてがわれ、345坪の本陣、母屋のほかに脇陣・塩倉・米倉・麦倉・道具倉・船倉・厩舎・貸し家などが立ち並び、埋立による田畑造成、塩田経営、田畑の小作料収入、金融業、木綿その他の商いなど多角経営で繁栄を極めていた。昭和27年6月4日、愛媛県知事久松定武氏が県内巡視のため来村され、この三浦邸に一泊された。久松家は代々松山藩主であった。 ●場所 ・・・ マップ |