久万山五神太鼓の由来 | |
ときは群雄割拠の戦国時代の(約400年前)、ところは、伊豫・土佐両国の国境(現在の久万郷)。久万山大除城主は大野直昌は、土佐方に包囲され滅亡の危機に陥った。 その時、直昌公は神のご加護を得んと、守護神・ダイバの仮面を小姓衆に付けさせ、太鼓・樽を一斉に打ち鳴らし神に奉じた。 願い、祈りは天に通じ、空にわかにかき曇り時ならぬ夕立襲来を呼んだ。 この機に乗じ久万山方は、土佐方の一瞬の間隙をつき一気に打ち出し窮地を脱したと伝えられている。 爾来、直昌公の氏神に対する感謝・崇拝の年は益々厚く、魔除先達の神としてダイバの仮面をつけ太鼓を打ち鳴らし、久万山五神の神々に感謝のまことを捧げたと伝えられている。 尚、打ち方は、柔・鋭・激 すなわち柔らかく、鋭く、力強くをモットーに各人おのおのの自由演技の真髄を等して、見栄を切り、強く激しく打ち切る所がこの太鼓の最大の見せ場となっております。 |