狩浜地区での五鹿おどり | 高山地区での五鹿おどり |
愛媛県南予地方の祭礼でよく見られる牛鬼は、 ここ明浜町にも伝承されています。 顔は牛とも鬼ともつかない形相で、胴体は牛、 尻尾は剣をかたどった練り物の一種であり、 神輿渡御の先導を努め、悪魔払いをしてまわります。 |
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狩浜牛鬼 |
高山牛鬼 | 田之浜牛鬼 |
俵津牛鬼 | 宮野浦子供牛鬼みこし |
賀茂神社の秋の大祭の宵祭りに、 数十名の若者達が海で身を清める 潮垢離の行事が今に引き継がれています。 割木を井桁に高く積み上げて明々と ”かがり”を焚き、全員が裸になって 次々と冷たい海に飛び込んでいくと いう勇壮な儀式です。 |
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この踊りの起源は、 土佐の太刀踊りが寛永時代 (1600年前後)にお隣の 三間町に伝わり、その地方の行商人から習ったという説と、 源平時代に、平清盛の重臣で あった足利又四郎忠綱に からむ「歯長取り踊り」と 関係があるという説があります |
花取り踊り 直線2列横隊で、背の高い大太刀と 背の低い小太刀が、音頭に合わせて 軽快に勇ましく踊ります。 本来の花取り踊りは12組ですが、 小子化にともない現在は8組で行っています。 |
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三角踊り 花取り踊りの始まる直前に前座として、 また終了後には締めとして行います。 この踊りは、鳴り物の鉦太鼓に合わせて、 3人の踊り子が3角の形で踊りまくり、 どんどん上るテンポにどこまでついていけるか、 というところに醍醐味があります |
ニ頭で祭りそのものを先導します 大牛は明治四年(1871年)から揚地区 小牛は明治三十年(1897年)から朴地区 から参加します |
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牛鬼/場地区・朴地区 |
明治六年(1873年) 八幡浜の日土から踊りを習ったとされます |
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子供甚句/屋敷地区 |
明治十六年(1883年) 八幡浜の五反田から踊りを習ったとされます |
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唐獅子/岡市地区 |
明治四年(1871年) 宇和の小原から踊りを 習ったとされます ルーツは仙台地方から |
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五つ鹿/客地区 | 五つ鹿/浜地区二区 |
当初一体でしたが、 明治四年(1871年)揚地区、 浜地区に一体づつ出来て 三体になりました 明治43年から明治45年に かけての廃仏毀釈により五社 (宇都宮神社・客神社・大元神社・ 一宮神社・大原神社)を国造神社に 合社されたため、以後三体の 神輿には、五神交代で乗られています |
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神興 |
昭和30年(1950年) 三区に子供神輿、七区に樽神輿が できその後、昭和55年(1975年)に 神輿になりました |
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神興/浜地区三区子供 |
当時の庄屋の長子が七才で 乗ったため現在もこの年齢の子が 浜地区(二区・三区)の 大正十年(1920年)頃より ニ台になった四ツ太鼓に 四人づつ乗ります |
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四ツ太鼓/浜地区二区・三区 |