吾川郡 仁淀川町の祭り

秋葉まつり
毎年2月11日

岩屋神社 9時〜9時30分頃
市 川 家  9時40分〜10時30分頃
法 泉 寺  11時30分〜1時頃
中 越 家  1時30分〜2時頃
秋葉神社 2時30分〜3時30分

  
  

秋葉神社は、火産霊命(ほぶすなのみこと)を祀り防火の信仰がある。
平家の落武者佐藤清岩が遠州秋葉山から勧請して岩屋で祀り、
次に法泉寺、関所番市川家で祀った後寛政六年(1794)ご祭神が市川家から
現在の秋葉神社にご遷座の際、毎年、ゆかりのある岩屋神社、市川家、法泉寺、中越家に
ご神幸を決定しました。本来、旧暦の1月18日が御祭神日でしたが現在は2月11日(建国記念日)が
秋葉祭りです。神輿つき役者70人、本村、霧之窪、沢渡の三集落からホラ貝を響かせて集まってきた
役者84人、役員その他で総勢200人になります。この中には祭りの花形鳥毛ひねりや、中太刀、小太刀
その他のはなやかないでたちの若者がいます。それらが先払いの鼻高面を先頭に、笛、太鼓、鉦の
囃子で3キロの山径を早朝から夕方にかけてっゆっくりと練り歩く土佐三大祭りの一つです。


椿山太鼓踊り
8月上旬
椿山の太鼓踊りは
氏仏堂で、安徳幼帝の子守歌として、
また平家の武将や公達(キンダチ)の
霊を慰める祭りとして、毎年古式通りに
奉納され、数多くの伝説とともに、椿山集落の人々に受け継がれてきたものです

踊りは一見単調に見え、数人の男性の踊り手が輪になり、
饅頭笠をかぶり、腹には大きな締め太鼓を乗せ、歌に合わせて、
真っ白いカナバの房の付いたバチでリズムをとりながら、ゆっくりと輪になって巡るものですが、
両手に持つバチの調子一つ狂うと踊れないというデリケ−トさを持っている踊りでもあります。
特に、夜に踊るとなれば、氏仏堂の境内にある数百年の歳月を刻んだ老杉が
篝火の大きな火影に夜空高く浮き上がる中、篝火を囲んだ踊り手が実に緩やかな歩みで
舞い進む姿が赤い炎に浮かび上がる情景は、まさに幽玄の世界を描き出します。
踊りには、「念仏踊り」「あやの踊り」「さんばれ」「敦盛踊り」「御所踊り」などがあります。


谷山のお盆の火廻し
8月15日


川渡の谷山大師堂で営まれる伝統の盆行事
集落が一つになって祖先の霊を迎え、豊作と平安を祈ります
燃えるたいまつを手に火振り台に立つ振り手
半径3mほどのたいまつが、ビュン、ビュンと宵闇に大輪を描き
たいまつが燃え尽きると振り手は交代します
祖霊は火廻しで地域に迎えられた後
それぞれの門火でその家に帰ると信じられています。


都の太鼓踊り
旧暦8月22日
  

寿永の昔、讃岐屋島の戦いに敗れた平家一門は
阿波の祖谷から土佐の山中に入り
仁淀川地区の別枝都の集落へ落ち延びたと伝えられています
その時、伝授されたのが「太鼓踊り」で
数百年前より絶えることなく伝承されてきました
安徳天皇の御霊を安んじ奉るために皇陵塚前で円形になって
唄と太鼓に合わせて優美な踊りをくりひろげます


池川神社大祭 / 池川神楽
11月23日
起源と伝承経路は。出雲神楽が四国伊予に渡り、これが伊予神楽となり。
更に池川に伝わり池川神楽として今日に至るとされている。これ以上の解明を証するものはない。
池川神楽は池川町の社職阿部家を中心に継承されたもので、
詞章も記紀の神話によって脚色されており、服装も雅楽の鳥兜を着用し、
近代的に演出された優雅な神楽です。

一、宮祓

神前舞殿を祓い清める一人舞で、神楽の基本となる。
二、悪魔払

唱文と剣にて悪を祓い、四海安穏を祈る。面付一人舞。
三、和卓の舞

膳の舞ともいい二個の会席膳を持って妙技を発揮する一人舞。
四、神迎の舞

四方の神を迎える舞、唱文を加えた二人舞。
五、二天の舞

剣をもち意気相合する、美しい二人舞。
六、手草の舞

手草をかざし五穀豊穣を祈る二人舞。
七、児勤の舞

まんごぢいとも言われ児勤大王の面付一人舞、太鼓の合間に密唱する。
八、天磐土開舞

神迎の二人舞、唱文をとなえ天照大神を迎える。天照大神現れ麗しい足どりで舞う楽之に合しみやびやかな一人舞。
九、四天の舞

美しい錦衣に鳥かぶと刀を持して舞う四人舞。
十、薙刀の舞

長刀を持して勇壮に舞う一人舞。荘厳のきわみである。
十一、山主の舞

面付二刀を振りかざし舞う特色のある麗舞。
十二、将軍の舞

甲冑を着け弓を持って舞う一人舞。弓の舞ともいう。
十三、王神立の儀

太郎王神より五郎王神にいたる五人五色の旗をもちてかけあい闘争と和解千秋楽を表す神儀である。


熊野神社 / 八所河内神社大祭
12月上旬・安居神楽

吾川郡小川村樅木山鎮座北斗妙見星神社神主は建武の昔戦乱の京をのがれ、
樅ノ木山に落ち給い京都より奉持した氏神を樅ノ木山に祭り安住の地とされた。
その子孫は繁昌して新別、高樽に分かれ岡林姓の祖となった。
高樽山鎮座熊野権現の神主岡林家にお福という絶世の美人があった。

一、清、祓塩水の儀
大祓詞 神楽祝詞 初祈り

天神地祗九万九千九百九十九社の神々の御降臨を願うための一切成就の祓いを行う。
二、弊の舞
神々に神餅を供し奉る神供舞。
三、順の舞
鬼面を掛け、荒毛を冠し、太刀を帯び、村中安全、氏子延命息災を祈る悪魔消喪の舞。
四、悪魔払の舞
鬼面を掛け、荒毛を冠し、太刀を帯び、村中安全、氏子延命息災を祈る悪魔消喪の舞。
五、神迎
四方の御神を迎える二人舞。
六、猿田彦の舞
天下太平、国土安泰を祈願する舞。
七、二天の舞
黒皮銅の甲、太刀、扇、開帛、烏帽子の二人舞。
八、将軍弓の舞
弓加持の舞であり、猿田彦と同じく悪魔退散の舞。
九、舞出しの舞
岩屋戸よりお出ましの天照大神を迎えての歓喜の舞。
十、手草の舞
天地清浄の舞。
十一、和卓の舞
白衣、袴に肩抜き広たすき日鉢巻のりりしい姿での軽妙な舞。
十二、長刀の舞
白衣、袴に肩抜き広たすき日鉢巻のりりしい姿での軽妙な舞。
十三、山主の舞
面を掛け、荒毛を冠す悪魔払の舞。
十四、四天の舞
四天の舞、鬼神舞、神鬼問答、七宝渡しと一連のドラマ形式の舞。
十五、鬼神の舞
肇国精神を表した舞。
十六、太鼓鎮
所謂舞納の千秋楽で神楽成就の感謝の祈り。