第 125 号
山間の小京都“高梁市”を訪れて
 5月26日、よく晴れた土曜日に大和田塾頭と塾生の石川さん、桐内さん、私の4名で岡山県・高梁市に行って来ました。高松自動車道を通り瀬戸大橋を渡った後、山陽自動車道を経由し岡山自動車道の賀陽ICを下りて備中高梁市に到着しました。

 四方を山に囲まれた盆地に広がる人口約4万人のこの街は、山間の“小京都”としても知られる歴史ある街で、貴重な史跡や数々の文化財が残っています。例えば、豊臣秀吉の水攻めで知られる“備中松山藩・松山城”の残る場所でもあり、高名な陽明学者の“山田方谷”先生の出身地でもあります。また、有名な邦画の「男はつらいよ」シリーズや「八つ墓村」、最近では「県庁の星」や「バッテリー」のロケ地として使われたことがあるそうです。そんな高梁市と四国政経塾は以前から交流があり、活動の一環として今までにも何度か訪問している馴染み深い街のようです。

     

 ところで今回の高梁市を訪れたのは、兼ねてより「街の活性化を促進するアイデアの提案」を塾として依頼を頂いている経緯もあって「観光客の目線で高梁市を観ること」が主な目的でした。とはいっても、私にとっては今回が初めての高梁市訪問。自分の勉強不足を実感するところなのですが、備中松山城の史跡や儒学の偉人・山田方谷先生など、この街に由来する沢山の歴史的背景を知ったのも実を言うと最近の事で・・・塾生の一員というよりは、むしろ“観光客”気分満々での訪問となりました。

 高梁市に入り「観光客なら、まずは観光地の情報収集でしょう!」ということで、最初に私たちが向かったのはJR備中高梁駅。小さな駅で観光用のパンフレットを一通りもらい、隣接する観光地案内所を訪ねました。案内所には二人の女性が在中していて、笑顔で迎えてくれました。大和田塾頭の観光客を装った冗談交じりのやり取りに一同和んだ雰囲気で雑談しながら、近隣の観光名所としては「備中松山城跡」と隣街に在る「ベンガラの街・備中吹矢のふるさと村」を勧めて頂きました。

 目的地をいくつか決めた後、ちょうどお昼時ということもあって街の“食事処”や“名物”について尋ねてみると、「高梁市にはこれといった名物は無いですね…お食事なら近くのホテルにあるレストランで出来ますよ。」という答えが返ってきたのは少し残念でした。
 観光客の一人としては、やっぱり“美味しい名物”は旅の楽しみや思い出にも成り得るし、観光客を惹きつける大切な要素だと思います。高梁市の活性化を考えた時、何か一つでも街が自慢できる“食の楽しみ”が必要になるのでは無いかと感じました。
 もし現状で何らか名物があるのならば、観光名所や商店街などとタイアップして販売方法を工夫するとか、宣伝や広告に力を入れるといった努力も必要だと思うし・・・新しい名物を作ることから始めるのならば、市民の方々に協力を募り、アンケートを採るなどして名物に成り得る“何か”見つけ出す事も必要となるのではないでしょうか。
 これから先、何度か高梁市にお邪魔する機会があると思うので、私自身も観光客の一人として街の風土や特色を活かした名物作りに少しでも貢献が出来るようなアイデアを見つけられたらと思います。

 高梁駅を後にして向かったのが、吹屋ふるさと村です。
 車で市街地を抜けて山道を走ること約一時間、吹矢のふるさと村に辿り着きました。かなり距離があり、細い山道や分かれ道を通ることもあって、初めて訪れた観光客の方にとっては無事に辿り着けるのか少し不安を感じる気もします。
 「ふるさと村」へ向かう観光バスも出ているようですし、経路は他にもいくつかあるとは思います。吹矢が近づくにつれて標識を多く設置したりと、観光協会の皆さんや市役所の方々の努力も所々に感じられたのですが・・・ただ、それらを活かす為の工夫や観光客側に立った配慮がもう少しあればと感じたのが正直な感想です。
 例えば、「ようこそ」といった歓迎の言葉を看板や道沿いの旗に入れるとか・・・観光地ならば当たり前になっているような事がいまひとつ欠けているような気がしました。他にも観光客の方々が一番通り易い経路を辿れるような案内方法の工夫や、標識や看板等の大きさや配色を変えたり目的地までの残り距離を分りやすく表示するなどもあるし、ほんとに些細な気遣い一つで知らない街を旅する観光客の方々は「歓迎されているんだなぁ」と感じたり「この街は暖かいなぁ」と安心感を覚えたりするのではないでしょうか。

 さて、ふるさと村に到着して最初に“ベンガラの街”を訪れました。入り口にある蕎麦屋さんで昼食を済ませた後、皆でのんびりと町並を散策することになりました。
 「ベンガラ」というのは、酸化鉄を原料とした染料で、薄い朱色というかオレンジ色というか・・・夕焼けを連想させるような色をしていて、当時は建築物の瓦や壁土、染物などにも使われていたようです。そんな夕焼け色をした瓦や壁の木造家屋が通り沿いの両脇に立ち並んでいて歴史を感じさせる風景は、灰色のコンクリートのビルや鉄筋の建物を見慣れている自分にとってはとても新鮮で、なぜか暖かく感じられたのは不思議でした。
 通りを進んでいくと、当時のまま残されている“郷土館”と“旧・片山低”があります。ここでは屋内を見学出来るようになっていて、当時の人々の生活を体感することができます。見学しながら大和田塾頭に教えて頂いた事ですが、昔の日本家屋の階段が急で狭いことや幅広い縁側が付いていることには理由があって、敵の進入や野外からの刀や槍による攻撃に備えてのことだそうです。今の自分たちの生活が如何に便利で贅沢なのかを実感し、時代とともに変わってきた日本人の生活や価値観について考えるとても貴重な体験となりました。
 ベンガラの街を一通り散策した後は、車で少し離れた場所にある木造の小学校(現在使用されているものでは国内最古といわれる校舎)と、昔ながらのベンガラの製造過程を見学できるベンガラ館に立ち寄りました。

 その後訪れたのは“吉岡銅山・笹畝坑道”。
 観光地として整備されているとはいえ、手造りで掘られたのであろう地中深く続くトンネルは、狭くてかなり急な坂道になっています。当日は天気が良く少し暑いほどでしたが、洞内には外とは一変した冷たく重い空気が立ち込めています。長いトンネルを進むと、突然開けた空洞に出ました。そこには発掘作業を復元した蝋人形があり、その作業の過酷さを物語っています。重機や発掘機械はもちろん、十分な灯りさえなかった時代にこの炭鉱で働いていた人達のことを想像すると、人間の強さというか・・・当時の人々の逞しさを感じずにはいられませんでした。
 そこからさらに奥へと続く道もありましたが、大和田塾頭と石川さんの体力が先へ進むことを拒んだようで・・・今回の坑道探索は残念ながら途中で打ち切りとなりました。個人的には探検隊気分で楽しかったのですが、塾頭と石川さんの疲れ様を見ると、多分ここを訪れることはもう無いでしょう。

 次に向かったのは広兼亭です。映画「八つ墓村」のロケ地になった場所だそうです。高く積まれた石垣の上に、まるでお城のように建つこの立派な建築物が、銅の採掘とベンガラの製造で築いた個人の富による遺産だったとは正直驚きました。

 「ふるさと村」の要所を見学した後は、高梁市の市街地へ戻り市内の観光スポットを見て回ることになりました。

 まず向かったのは頼久寺です。この寺は、木造の建物自体かなりも歴史があって一見の価値があるのはもちろんですが何よりも中庭が素晴しく国指定の日本庭園になっているようで“日本の美”を見ることが出来ました。恥ずかしながら、テレビ以外で砂利が波打っている日本庭園を見たのは初めてだったのですが、畳敷きの茶の間に座って静かな庭園をぼぉーと眺めていると、時間が過ぎるのを忘れてしまうようで癒されます。
 やっぱり自分は日本人なんだな・・・と一人で物想いにふけりながら寺から出た時には、心が少し軽くなったような気がしました。

 頼久寺を後にして、山田方谷先生の生家跡や儒学を学んだ有終館、武家屋敷の残る通りや備中松山城跡を訪れました。

 山田方谷先生についてですが、街の観光パンフレットでも高梁市生誕の偉人として大々的にアピールしていることから考えると、生家跡をはじめとするゆかりある場所に草で埋もれた石碑が一本残っているだけ・・・という現状や、記念館や資料館のような方谷先生について詳しく学べる施設が無いことなどは、正直とても悲しく思えました。
 もし、本格的に山田方谷先生を高梁市生誕の偉人としてアピールしていくのであれば、知名度で一般の人々を呼ぶことは残念ながら難しいと思うので、せめて高梁市を訪れて方谷先生を知った方々に、先生の偉業を伝え記憶に残してもらえるような要素が必要だと思います。

 備中松山城の見学は時間の都合などもあって、今回は麓までで断念しましたが、以前に天守閣を訪れたことのある大和田塾頭と桐内さんの話によると、かなり険しい山道を登ることになるそうで「一度登ると色々な意味で“忘れられない思い出”」となるようです。それがどういった意味なのか・・・少し気になったのですが、次回もし機会があれば自分の足で訪れて見学したいと思います。

 今回、高梁市を観光客の一人として散策し感じたことは、街に点在する史跡や文化財はかなり貴重で勉強になります・・・しかし、これはあくまでも客観的で個人的な意見になるのですが、“街の雰囲気”や“訪れる人々を迎える姿勢”という点で、高梁市は「観光地としての標準」が満たされていないのではないかと思いました。
 現在の史跡の保存状態や“人を惹きつける要素”を考えてみても、訪れた一般の人々が楽しめて「また来たい」と思うには、かなり厳しいのではないかと感じました。
 もちろん、限られた時間の中では高梁市の全てを観る事は出来なかったし、観光施設の建設や整備といった大規模な事業の展開については、街の行政や財政についての問題も深く関ることだと思うので・・・私の知り得ない様々な要因の元に、今の街の現状があることも十分想像できます。しかし、街の雰囲気や訪れた人々が受ける「高梁市にまた来たい」という印象は、立派な施設や貴重な文化財だけが作りだすのではなく、そこに住む住民の皆さん一人ひとりの“心意気”によって生まれるものだと思います。

 時間と労力を必要とする難しいことですが、まずは高梁市の皆さん自身に、街を盛り上げようという気持ちを持ってもらうことから始める必要があると思います。
 その為にも、観光に訪れた人々はもちろん、高梁市に住む住民の皆さんも一緒に楽しめるイベントを季節ごとに定着させるなど、高梁市全体を巻き込んだ活性化の方法を考えていく必要があると思いました。

 今回の高梁市訪問は、私自身の街や地域の活性化についても深く考える本当に良い機会を与えてくれました。今後も、高梁市の皆さんと交流する中で、何か少しでも力になれることや協力出来る事を見つけると共に、街そして地域の活性化を自分自身のテーマとして考えながら勉強していきたいです。
平成19年5月26日
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