第 183 号
偉人館巡り・京都・大阪訪問
 平成21年11月14日(土)〜15日(日)の2日間、偉人館めぐり事業で京都・大阪に訪問しました。今回の偉人館めぐりは、幕末維新の舞台となった京都の現地視察と、関西を中心に活動されている※ライフ・パラダイム研究会の皆さんとの面談、そして大阪の偉人資料館の研修が主な目的です。ライフパラダイム研究会は、新居浜にある別子銅山(住友)の第2代総理事であった伊庭貞剛氏の研究をされていたことから私共四国政経塾とご縁が出来ました。研究会では社会や会社(組織)の常識にとらわれない生き方を追求し「心豊かに感じ・考え・行動する」感性を磨き、共通感覚を覚醒させ「意識の成長・進化」そして「智慧」に気づき「本来の自己」(≒仏性)につなげようと活動されています。ライフ(life)には「人生」「生活」「生命」「生物」「本物」「元気」「活動」「救い、再生」等という人間や生き物の存在にかかわる多様な意味があり、ライフ・パラダイム研究会では、それらの内実を深く追求することで、生きるヒントを得て、社会や会社(組織)の常識にとらわれず「心豊かに感じ・考え・行動する」ことを目指しています。
 具体的には、@“智慧”を求め、生きるヒントを得る A自己の可能性に気づく B自の頭で考え、人生を切り開く力につなぐ C「知」の活用を理解し、「知」の楽しみに気づく Dキャリア・デザインの構築へつなぐ E地球環境問題の解決につなげる(ライフパラダイムHPより)といった活動をされている組織です。
 詳しくは http://www.jikeiji.com/activity/life/life-1.htm にてご覧ください。

 さて当日は、朝8時に事務所を出発、休日で道路混雑を心配しておりましたが、京都南付近で少し渋滞した程度で、ほぼ予定どおり京都へは午後1時頃に到着しました。まず向かったのは東山霊山にある幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」です。会場では「龍馬たちの挑戦」と題した秋季特別展が開かれており、展示内容は龍馬を中心とした内容のものが多く展示されていました。「霊山歴史館」は、昭和45年に開館し、龍馬・黒船・新撰組から明治維新までの貴重な資料を収蔵している日本で唯一の幕末維新の専門総合博物館です。また、東山の霊山地域には明治維新政府の大政官布告を受けて、坂本龍馬・中岡慎太郎ら先覚志士たちの墓がつくられ、明治維新の誕生に尽くした志士たち1043名の霊が祀られており「維新の道」と呼ばれ史跡公園として親しまれています。
 坂本龍馬は皆様も御承知の通り、同志中岡慎太郎と共に薩長同盟を成立させ大政奉還に貢献した人物で、まさに幕末維新の偉人であります。龍馬を取り巻く人物や出来事を当時の貴重な文献や資料、写真などによりパネル展示されていました。人工皮膚で忠実に再現された坂本龍馬の等身大の人形は、実にリアルで、まるで龍馬が生きて目の前に立っていて今にも話しかけて来そうな感じで、しばし見入ってしまいました。龍馬は人脈づくりに優れた能力を持った人物で、商人の家系を持つ龍馬はその才能を幼少の頃より身についていました。洋学者の佐久間象山から西洋砲術、土佐藩船役人の河田小龍からはアメリカ事情、幕臣の勝海舟からは航海術、熊本の横井小楠からは政治学、越前の由利公正からは流通経済等、さまざまな有識者から色んな事を学んでいます。そして、その学んだ知識を行動に移し実現させたところに龍馬の魅力があるのではないでしょうか。見学を終え資料を見ていると霊山歴史館で頂いたパンフレットの一番後ろに「日本の心」と題した文章が掲載されていました。まさにこの歴史館を見て考えなければならないことが、この文章に集約されていると思いましたので掲載いたします。

 日本の心…「日本には二千年にわたる歴史があります。その間ほぼ一貫して発展の歩みを続け、その長い歴史を通じて独自の優れた伝統の精神を培い養ってきました。そして、その精神はことあるごとに発揮され、今日の日本が築かれてきました。およそ百六十年前、幕藩体制が行き詰まりつつある頃、アメリカの黒船をはじめ外国船が開国を求めて来航。日本は突然世界の潮流を知らされました。海外からの強い圧力と国内の混乱が渦巻く中、わずか半世紀足らずで、政治・文化・産業などの広範囲にわたる改革が断行された明治維新。この大業を成し遂げ、近代日本の礎を築いた人々の多くは、二十代・三十代の若者たちでした。彼等に身命を賭した勇気ある行動を起こさせたのは、先覚者の教えと日本の伝統精神でありました。この伝統の精神こそ「日本の心」といえるものでありましょう。」(幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」資料より)

 私たちの偉人館めぐりの事業も、先人の智慧と行動に学び、今の時代に活かせるものを見つけようと行っていますが、歴史館そのものが、歴史の中に生きた人の功績を讃え顕彰し伝えることで、次の時代の創造に繋がることを願い建設されているのです。是非京都へお出かけの際には一度訪問してみてください。歴史館内の見学を終え、すぐ隣にある坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓に向かいました。高台から京都の景色が一望でき、日本の礎を築いた先人に手を合わせ、文化的で発展した現在の基礎を築いて頂いたことに感謝申し上げました。

 次に向かったのが新鮮組壬生屯所遺蹟で京都市指定有形文化財にもなっている八木邸です。幕末、京の治安維持のために結成された新撰組は、文久3年(1863年)3月春に、洛西壬生村の八木源之烝(八木家11代目)宅にて誕生しました。八木邸は隊士らが宿舎にしていた場所で、初代局長の芹沢 鴨らが暗殺された部屋や、当時の新撰組の活躍背景を近藤勇の像がある座敷でベテランガイドさんが、面白く上手に説明してくれました。部屋の鴨居には文久3年9月18日の夜、芹沢 鴨・平山五郎らが斬殺されたときに付いたとされる刀傷の跡もあり、当時の凄まじい歴史を刻んでいます。池田屋の変、禁門の変など新撰組は激動の歴史を繰り広げていますが、その舞台となり時代を見つめ続けたのが、この八木邸ということになります。ほんの数百年前には、今の平和な時代からは想像も出来ない、組織の変革に死を持って当たっていた厳しい日々が送られていたのかと思うと、何とも言えない感慨深いものがありました。

 次に訪問したのが京都花街嶋原にある置屋兼お茶屋の※「輪違屋」です。(※輪違屋とは、創業元禄元年(1668年)で300年以上の歴史があり、揚屋と置屋を兼ね備え、3人の太夫と1人の振袖太夫がいます。かつては芸妓等も抱えていたそうですが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、信頼と信用に基づく社交・宴席の場として営まれています。表に「観覧謝絶」の札があり、いわゆる「一見さんおことわり」のお店です。建物は昭和59年(1984)に京都市の指定・登録文化財に指定されています。)
 大和田塾頭の顔で一緒に中に入らせていただき(なぜ大和田塾頭がOKなのか?…京都政経塾とのご縁であったそうですが…詳しくはわかりません)女将さんに中を御案内頂きました。太夫道中に使われた傘を襖に貼り込んだ「傘の間」、本物の紅葉を使って型取りし、その上に彩色した壁が使われた「紅葉の間」を見学させて頂きました。いずれも中々見ることが出来ないもので本当に見事なものでした。もともとは当主の部屋であったそうですが、しばし300年前と変わらない空間で、タイムスリップしたような不思議で神秘的でいて何となく心癒される大変貴重な経験をさせていただきました。また、女将さんの何とも言えない京都弁での御案内にも心が癒され、出来れば一度宴席にも参加してみたいと思った次第です。

       

 京都での研修もあっという間に予定の時刻となり、足早に輪違屋を後にして一路大阪へ、宿泊先のホテルでライフ・パラダイム研究会の方々との面談に向かいました。近くの居酒屋さんを会場に夕食を御馳走になりながら、ライフ・パラダイム研究会からは代表で大阪商大教授の石神さん・副代表で潟Cマジンコム代表の石橋さん・いちご研究所の鎌田さん・トーホービジネスの吉田さんの4名が参加されました。今回はいちご研究所の鎌田さんが10年程前から研究開発を進めているイチゴ製品と事業についての御説明を主に伺いました。この事業は上場を目指す産学官共同事業として企画され、イチゴの葉や茎が原材料で、従来廃棄処分されていたものを活用することで、環境問題や資源の有効利用のみならず、事業を通じて地域に利益還元を行うことを理想として組み立てられており、鎌田さんが御苦労されて大学や研究所にお願いし、試験的データは既に実証済みで製品化も出来る段階まで進んでいます。しかしながら問題は資金と販売力にあるとのお話で、鎌田さんの御説明では利益優先のビジネスではなく、環境や地域、人に貢献する「志事業」として、本当にいい製品を世に出したいとの思いで進めらており、鎌田さんの誠実な人柄を感じる内容でした。とても共感出来る部分が多く、地域活性ビジネスモデルとしても大変興味深くお話を伺わせて頂きました。事業の全体像や進行状況も把握でき、我々としても何かお手伝いが出来ないか持ち帰り検討していきたいと思います。また、夕食をしながらトーホービジネスの吉田さんからは、御専門の食についてのお話を伺い、大変参考になりました。石神さんとは恐らく同期だと拝察しますが、掛け合い漫才のように息のあった会話のやり取りが何とも愉快で、大変楽しく食事を御馳走になり本当に有難うございました。ライフパラダイム研究会の内容については、あまり踏み込んだお話が出来ませんでしたが、また次の機会に是非ともいろいろな意見交換をしたいと思いますので、その節はよろしく御指導願います。夜の10時も回り、慌ただしい一日が終わり、この日はホテルに着くと直ぐ就寝してしまいました。
 翌日はライフパラダイム研究会の皆様から御紹介頂いた、適塾と司馬遼太郎記念館を視察しました。適塾とは幕末に洋学研究の第一人者として仰がれた緒方洪庵が開いた塾で、洪庵は多くの蘭書を翻訳し著書を残し、日本内科学の発展に大きな影響を与えた人です。適塾における教育の中心は蘭書の会読でしたが、洪庵は優れた蘭学者・医学者であったと同時に、優れた教育者でもありました。現存する姓名録によると、適塾の入門者は日本全土から集まり、その数は数千人にも及んだそうです。適塾の門下生の中には、明治維新をもたらす政治の動きに身を捧げた橋本佐内・大村益次郎、慶應義塾を創立した福沢諭吉がいます。その他にも日本に衛生行政を確立した長與専斎、明治の外交で活躍した大鳥圭介・わが国で初めて赤十字博愛精神を実践した高松凌雲・佐野常民らも適塾出身者でした。適塾は大阪のオフィス街に江戸時代の町屋の姿を現代に留め、史跡・重要文化財として保護されています。蘭学や医学には縁遠い私ではありますが、実に様々な偉人が学び巣立っていたことを知り、いつの時代にも学び集まる場所の必要性はあるのだと実感した次第です。そして四国政経塾もいずれ時代を動かす人物を生み出す人々が集う場所になれればと思いました。
 次に向かったのが司馬遼太郎記念館です。東大阪市にあり財団法人司馬遼太郎記念財団が司馬遼太郎の業績と遺志を永く後世に伝えるために運営をしている記念館です。入り口では係員の方が丁寧に御案内してくださいまして、玄関横を通り庭の中を進むと、司馬遼太郎氏が使っていた書斎を外から見ることができます。そして記念館の中へと向かいますが、入ってまず驚いたのは書籍の多さです。館内の地下から天井にかけて、本棚に司馬遼太郎氏が使用した書籍が整理され展示されています。生涯にこれだけの書籍をよく読めるものだと驚きました。資料によると館内に2万余冊、自宅には自署本を含め6万冊ほどの本が収まっているそうです。また、館内には小ホールがあり「時空の旅人」「司馬遼太郎の遺した言葉」という15分ほどの映像が上映されています。館内の中に司馬遼太郎氏の言葉が展示されていましたが、司馬遼太郎氏は日本の行く末に大変不安を抱いており、職業でもある歴史小説を通じて、先人の生き方に学び、後世に伝えようとしていました。また、この記念館は展示品を見るだけでなく、何かを感じ取ってもらう場所でありたいと念じられ運営されていますが、まさしくそういった場所であったように思います。一つ一つの展示蔵書は見ることは出来ませんが、司馬遼太郎氏が伝えたかったことや、自分自身がこれから何をすべきかを考えさせてくれる空間であったように思います。それぞれ仕事や環境は違いますが、自分の置かれている立場で何かしらの役割を果たさなければならないのではないかと、いつも塾で教えられていることではありますが、この場所で改めて考えを深めることが出来ました。

 今回は非常に過密なスケジュールで十分見て回ることは出来ませんでしたが、貴重な経験を含め多いに収穫のあった研修でした。新しい人との出会いもあり、また新しい事業に向けて力を頂けました。最後になりましたが、この研修でお世話になりました関係各位の皆様に心より感謝申し上げます。
平成21年11月15日
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