第 19 号
ジョン万ハウス訪問
 6月15日雨の中、塾生皆で足摺岬を目指しました、目的はジョン万次郎の資料館巡りです、道中、太平洋の荒波に削られ、自然に出来た何とも言えない、美しい景色に酔いしれながら、走る事3時間、ジョン万ハウスに着いた。私の頭に中には、万次郎の事は、漁に出て難破し、アメリカの船に助けられ、アメリカで英語を覚えて、日本に帰ってきた人ぐらいしか、知識が無かった。資料館で見た万次郎を年代別に紹介して見たいと思います。

1841年 14歳  難破漂流(10日間)
 孤島で143日生きながらえる
 ホイットフィールド船長に救助される
1846年 18歳  オックスフォード大学で勉学
 (英語、数学、測量、航海、造船等)
1849年 22歳  西洋から喜望峰、インド洋、大西洋を航海する
1851年 24歳  沖縄本島に上陸
1852年 25歳  那覇、翁長、鹿児島、長崎奉公所
 (白州での拷問18回に及ぶ)
 吉田東洋から70日の取り調べ
1852年 26歳  土佐藩の藩校「教授館」の教授となる
1853年 26歳  幕府直参となる、この時中浜万次郎と名のる
1855年 28歳  わが国初の航海学書、英会話辞書を編集
 西洋型帆船を建造
 軍艦教授所教授を拝任
1860年 33歳  威臨丸に勝海舟教授方通弁主務
1866年 39歳  薩摩藩の開成所教授
 土佐藩の開成館の設立
 上海に渡り、土佐藩船を購入
1869年 42歳  開成学校(現東京大学)の教授
1898年 71歳  生涯を終える

以上主年代別に紹介させて頂いたが、もし自分が万次郎のように、難破してアメリカの船に助けられたら、此れだけの事が出来ただろうか?見たことも無い、国、言葉は解らない、その中で大学まで行き、勉強するエネルギーは私には残念ながら、其の環境の中では生まれて来ないだろう、その努力たるや、すごいものであったろうと、推測するしか私には出来ない、只、いえる事は人間努力し、夢持てば必ず成功するだろう、私も夢を持ち、努力する事をいとまない人間で有り続けたいと、今回の視察は心に熱く感じさせられました!

平成15年6月15日
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