第 192 号
松下政経塾 紹介プログラムに参加して
 平成22年3月20日(土)神奈川県茅ケ崎にある松下政経塾を訪問しました。松下政経塾の設立目的や塾生の活動紹介、そして卒塾した塾生の活動状況などを紹介する企画事業(今回で第3回目の開催)の開催にあたり当塾より5名の参加申込みをさせて頂きました。個人的には四国政経塾の本塾でもある松下政経塾へは、以前より一度訪問したいと常々思っておりまして、この度その念願が叶うことになり、大きな期待を胸に、前日の19日に高松空港から羽田へ飛び、会場である松下政経塾近くのホテルで一泊し当日を迎えました。
 会場へ向かうと紹介DVD等で見たシンボルの鐘の塔が目に飛び込んで来ました。そして、入口正面にある大きなアーチ門をくぐり、研修棟内の講堂へと向かいます。研修棟入口には塾主松下幸之助氏の銅像が、塾生を厳しく優しく見守るように立っています。
 開会の最初に「建塾の理念」VTRが上映され、副塾頭の土谷準明氏より松下政経塾の概要説明が行われました。松下幸之助氏は、今から溯ること30年程前から、国家の未来を拓く理念「国是」がないことを大変心配し、このままでは日本が混迷の時代に向かうことを予見していました。そこで日本は天然資源には恵まれていないが、人材資源には恵まれていることから、国家経営の指導者づくりに取り組みます。これまでの様々な経験を生かし、次の時代をリードする指導者の育成に力を注ぐことを自分の天命とし、私財70億円を投じ政経塾の運営を始めました。政経塾の「政」の字は正しく政治を意味し「経」の文字は経済ではなく経営を意味しており、政治も会社も何事も経営であるという松下塾主の想いで、政経塾と命名されていることの説明を受けました。松下幸之助氏の3事業として、パナソニックは「ものづくり」PHP研究所は「理念づくり」そして、松下政経塾は「国家経営の指導者づくり」を目指したものであり、松下政経塾は第1期生23名でスタート、今年で開塾30年を迎えます。松下政経塾では国家運営の理念と研究、そしてそれを実行する人材の育成を行っており、30年間で卒塾生は237名(内女性が30名)となり、101名(42.6%)が政治分野で、70名(29.5%)が経済分野、39名(16.5%)が教育・研究・マスコミ分野、27名(11.4%)がその他分野で現在活躍されています。松下政経塾の運営費は、スタッフ16名で年間3億円程かかるそうです。幸之助塾主が投じた70億円に加え、松下関係企業などから50億円が寄付され、総額120億円で事業を開始し、現在の建造物には約20億円かかったそうです。残りの100億円を運用しその運用益で松下政経塾が運営され、塾生は月額20万円の活動費を頂きながら、3年間松下政経塾で学びます。1年目は政経塾内にて寮生活を送り、基礎課程を学びます。基礎課程では指導者に相応しい資質・人間性の涵養が研修の肝となり、座学だけでなく、現地現場に出て人間を学び、現実問題の実相を追究していきます。2年目以降は自修自得を旨として各自のテーマや志に向かった研修が進められます。
 松下政経塾の活動をより具体的に知ってもらうため、現在第29期生として研修をしている北川晋一氏による塾生発表が行われました。北川氏は大阪府のご出身で、健康創造を目指した保健医療福祉対策を活動テーマに研修を進めています。アメリカンフットボール競技中に重度の頸椎捻挫となり、自身の患者体験と、看護師としての問題意識から、今後の日本の保健医療福祉をよくしたいと考え、2008年4月に松下政経塾の門をくぐりました。御自身の体験談から見える問題点や今後の方針について発表がありましたが、法律の壁や医療現場での確執などが課題であるとの内容が印象的でした。私自身も福祉現場での経験から理解できる部分が多かったからです。卒塾後の具体的な方向性(現場で改革を進めるか?政治家として政策整備をすすめるか?)は決まっていないとのことでした。北川氏には医療と保健、そして福祉が本当にうまく連携できるような社会システムを構築していただけることをご期待申し上げます。

 午後からは、卒塾後の塾生がどのような活動をしているかを紹介するための塾員講話が行われました。講師は第26期生として松下政経塾を卒塾後に、千葉県松戸市で市議会議員をしている山中啓之氏による講話です。山中氏は地方自治体の改革による市民のための住みよい都市(松戸市)の実現をテーマに活動しており、癒着政治の根絶、健全な財政基盤の実現、治安の回復、行政サービスの充実などをメインテーマとして議員活動を進めています。中でも松戸市は東京近郊のベットタウンとなっており、山中氏はベットタウンからホームタウンを目指しています。昼間は仕事で東京近郊へ人が流れ、留守宅が多くなることから、空き巣等の犯罪が多発しており、夜間暗いところが大変多く、防犯灯の設置数を増やしましたとの活動報告がなされました。昼間の空き巣対策に防犯灯は効果があるか?は少し疑問に感じましたが、松戸市に住みながら議会機能が働いておらず、住民参加や地域参加がなされていないことに問題意識を抱き、松下の門をくぐりました。卒塾後も松戸市の議会運営をテーマに活動を進め、現在は会派に属さず自分の判断で議員活動を進められているとのお話でしたが、私も個人的には地方議会は政策与党でよいと思います。地方行政の運営はその地域の特色や文化、風習によって多種多様な物であると思いますし、国や県の議会運営スタイルと画一化される必要はないと思っています。ただ、現実的には会派に属さないと自分の意見や発言が採択されない現実もあります。極端な話をすると10のうち1つも意見が通らないのが現実です。たとえ成果はゼロであってもあえて自分の意志を通すか?!全ては無理でも1つでも自分の意志を通すために会派に属するか?!は政策案件にもよりますが、大変ジレンマを感じるところではないかと想像しました。自分自身の議員経験から1期目の議員活動は現実的に何も出来なかった実感があります。恐らくは山中氏も松戸市において古参議員の方々の中で、大いに奮闘されているのではと思います。松戸市に限らず行政にはまだまだ解決しなければならない問題が山積しています。現在は松戸市議会議員として今後も活動を続けるとのことでしたが、松下政経塾の塾生として是非とも県そして国政へと飛躍していただき、日本の指導者たる政治家としてのご活躍をご期待申し上げます。
 小休憩をはさみ松下政経塾塾頭の古山和宏氏による塾頭講話が行われました。古山塾頭からは先ず皆さんから質問を受け、それにお応えする形で進めますとのことで、沢山の質問が出されました。四国政経塾からは、塾頭の大和田から政経塾として活動している全国の組織についての質問を、私は先日当塾勉強会で学習した古山塾頭のコラムにある「素直」について直接指導をお願いしました。政経塾の名前を使った組織は国内のみならず海外にも沢山あるようで、全国にどれだけあるかは不明であるが、塾生OBが関わって運営しているのは千葉と岡山だけと認識しているとの回答でした。ん?・・・・四国は?と思いましたが、間髪いれずに大和田塾頭より、四国も第1期生小野晋也氏や2代目塾頭上甲晃氏のご指導で運営してきましたとの説明を加え、会場でアピールさせて頂きました。
 素直については、中国の中庸に「素(そ)にして行う」という言葉があり、淡々とどんな境遇にあっても自分の道を行くこと、とかく人は比較をしてしまうが、どんなに偉くなっても金持ちになっても、逆に貧乏になっても、奢り蔑むことなく、これが自分の道として淡々と生きることであり、つまりは自分の生き方というものを立てることであるとの御指導を頂きました。人生の成功とは自分の天分を生かしきることであり、松下幸之助氏も自分を人生の成功者であるとは思っていなかったエピソードをお話頂きました。いつもの文書による勉強会とは一味違った直接指導に大変感銘を受けました。感謝申し上げます。
 一応の質問に答える形で講話が進められ、最後にまとめとして古山塾頭から次のことが述べられました。

 松下政経塾では、基本的に男女の区別はありません。そして、人材育成の特徴としては次の3つがあります。

@教えないこと…自修自得
A自ら気づく……人から言われるのではなく、悟ること。立場が変わっても自分を律すること
B体験・体得……机上の知識も大切であるが、体験することから得ることはもっと大切である

 百聞は一見に如かず・・・百聞、百見は一験に如かず(政経塾の研修では実習が多い)
 人間を磨き、志を磨く道場、それが松下政経塾である。日本の柱をつくり、日本を救えるリーダーを育成を行う場所であるとの御説明をされました。また、今後は地域経営リーダーシッププログラムも開催する計画で、地域のJC等と連携し、地域を元気にし各地域で身を張って活動するリーダーの育成にも力を入れていきたいとのお話でした。
 その後、寮の室内や松心庵(茶室)など、館内を一周するかたちで説明をうけながら塾内を見学して回りました。
 今回のプログラムで松下政経塾の活動がより一層理解できました。そして同時に大切かつ重要な役割を果たす機関であることを改めて認識しました。松下政経塾は幹部が変わりながら運営していることもあり、少し相互認識にズレはあったかも知れませんが、最後に帰り際古山塾頭とも御挨拶させていただき、今後地域活動での連携も視野にいれた活動を進めることを確認し合うことが出来、益々四国政経塾の役割も重要になってくると実感しました。お世話になりました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
 さて、無事プログラムは終了しましたが、帰路に着くはずが、折からの強風で羽田から飛び立った飛行機が高松空港に後わずかで着陸を断念(2度トライ)、あえなく羽田に引き返すはめに、空港に着くと夜中の12時過ぎ、ホテルは取れず、タクシー待ちは長蛇の列、よくテレビでは見たことのある行列の波を、まさか自分が体験するとは思いませんでした。結局翌日の仕事に向かうため、取りあえず横浜まで移動するも、やはりホテルは見当たらず、なんとか2時過ぎにマンガ喫茶にやっと部屋を見つけ泊まることに。これもまた初体験。決して寝心地の良い空間とは言えないけれども、贅沢は言ってられません。これもよい経験であるとは思いつつ、この日ばかりは自然の力の前に、文明の非力さを感じずにはいられませんでした。
平成22年3月20日
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