第 196 号 |
岡山県 高梁市を訪問 |
平成22年10月30日(土)岡山県高梁市を視察訪問しました。 以前より岡山人間論ゼミの森さんから、高梁市の活性化(山田方谷先生の顕彰と観光事業)について四国政経塾に御相談を頂いており、私はこれで3度目の高梁市視察訪問となります。 朝8時に事務所を出発し、四国中央市から約2時間弱で高梁市に着きます。市境にある展望所で森さんが出迎えて下さり、市内で高梁市活性化を先頭に立って引っ張っている松本さんと合流。丁度10月30日から11月7日まで岡山県内で国民文化祭が開催されており、高梁市でも各所で文化祭が開催されており、待ち合わせの文化会館でも「近世の私塾と教育」と題した特別展示もされており、山田方谷先生が力を注いだ人づくりに焦点を当て、私塾で人づくりを行った同時代の学者たちの貴重な資料が展示されていましたので、御案内をいただき見学させていただきました。 その後、観光資源の視察を目的として高梁市内の代表的な観光名所を改めて御案内して頂き、先ず向かったのが吹屋ふるさと村です。銅鉱石から取れる赤褐色のベンガラ(主に赤色顔料として陶器の染料、衣料の染料、家屋・船舶の塗料など使われていました)で財をなした地域で、昔の街並みを今に残し、国選定重要伝統的建造物群保存地区にも指定されているとても情緒ある観光地です。銅鉱石やベンガラの事業に成功し巨大な富を築き、徳川末期に建造された広兼邸へと向かいました。映画「八つ墓村」の舞台にもなった有名な建造物です。何度見ても高い石積みと当時の栄華を偲ばせる建造物のたたずまいには圧倒的な存在感があります。ちょっと残念だったのが、広兼邸の正面向かいにある神社(広兼邸の守り神とのこと)から見渡したのですが、その神社の中がちょっと荒れていて、信仰的なことにはなりますが、広兼邸だけでなく守り神様も大切にしてこそ、その地の繁栄があるのではないか?!と思った次第です。是非とも地元の方々や関係者の方々で、この神社内の維持管理も検討してみてはいかがでしょうか?!丁度御昼になり、吹矢の街並みにある食堂で田舎そばを御馳走になりました。またこのそばが素朴で大変美味しかったです。今回、高梁市総務部の歴史まちづくり課の渡辺課長さんも合流し、各地の説明を含め詳しく御案内下さいました。吹矢の街並みには2度訪問しましたが、今回通の人しか行かないところも御案内いただきました。吹矢の街並みを少し奥に進み、当時の役所跡や山神社にある玉垣に三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎が寄進した三菱マークが刻まれている場所等、歴史的に大変貴重な場所も見ることができました。渡辺課長さんのお話では、ここが吹矢の町が一番色濃く残る場所だとのことでした。現地では観光協会長さんとも少しお話をすることができ、建物の維持管理は行政の応援もあってなんとかなりますが、基本的には昔のままの街並みを維持しながらやっていきたいとの御意見を聞かせていただきました。また経営面では大変御苦労されているとのお話で、ここにも日本経済の陰りが少し見え隠れしていたように感じました。現地への集客やお土産販売や観光客へのサービスなど、こうした面での新たなアイデアも今後様々な場所を参考にしながら、検討する必要があると感じました。 吹矢の町には「吹矢小学校」がありますが、この校舎は明治33年から42年にかけて建築されて、今でも使用されている木造校舎としては日本一古いもので、これもまた非常に懐かしさと歴史を感じることのできる建造物です。今もなお使用されているところが凄いと思います。吹矢の銅山を支配していた黄金山(コガネヤマ)城の城主吉田六郎兼久のお墓も御案内していただき、大塚屋敷の跡地(石垣が当時の繁栄を偲ばせる)も見学させて頂きました。前回見なかった場所を含め、生の社会教育教材とも言えるような、とても歴史ある場所で日本の経済発展のルーツも見え隠れする場所で、観光資源だけでなく教育資源としての価値も十分ある場所だと感じました。渡辺課長さんが日本経済新聞で訪れたい歴史ある名所全国第8位に掲載された記事を紹介してくださいましたが、とても素晴らしいことだと思います。 その後、笹畝坑道(江戸時代から大正時代まで黄銅鉱、硫化鉄鉱を採掘していた)を見学し、高梁市内へと戻り、頼久寺へと向かいました。ここは足利尊氏が再興し、瀬戸内観音霊場第13番の札所です。このお寺には小堀遠州(1579〜1647年)作の庭園があります。池に水を張らない枯山水と呼ばれる庭園手法で、背景の山並みも庭園風景に取り込み、その空間にいると日々の雑多を忘れさせてくれる実に落ち着く場所で、古の偉人の見事な技に酔いしれること間違いありません。個人的にも大変好きな場所です。 その後車内から武家屋敷、市内の街並みを見ながら時間の都合で高梁市を後にしました。一様に感じたことは、今回も案内があったからスムーズに行けましたが、地元の方も間違うような山深い場所に吹矢の街並みがあることから、案内看板の充実は急務でなかろうかということです。道路の拡張整備は着々と進められていたようでしたが、要所要所にもう少し目立つような案内板がないと、道中少し不安になると思いました。看板も工夫次第で手作りのものでも可能だと思います。是非こうしたことから観光地へ来られるお客様への御もてなしを検討されてはいかがでしょうか?! 本来なら市長さんや観光関係者の皆さんと意見交換をするはずでしたが、行事関係の都合でまた次回へとなりましたので、今回の視察を踏まえて外部の意見として、微力ながら高梁市の皆様方へお力添えになれたらと思います。この度御多忙の中をご案内頂きました森さん、松下さん、渡辺さんに厚く御礼申し上げます。 |
平成22年10月30日 |
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