第 202 号
中岡慎太郎館・龍馬の生まれたまち記念館訪問
 7月30日、中岡慎太郎館・龍馬の生まれたまち記念館を訪問しました。朝9時に塾を出発、先に中岡慎太郎館に向かいました。11時半頃に到着しました。
 慎太郎館を訪問するのは7度目くらいの訪問となりますが、新しくリニューアルされてからはじめての訪問になります。

 会館の中は、一部は以前のままでしたが、1階は、慎太郎の人生、慎太郎の活躍、同時代幕末の志士達等、史実に基づき年代ごとに展示されています。天保9年(1838年)4月13日、父・中岡小伝次(北川郷大庄屋)、母・ウシの長男として誕生し、幼少時代、武市半平太との運命的な出会いを通じて、慎太郎が大道に目覚め、清岡道之助などと共に文武両道に励んだ日々。
 安政の大地震により多大な被害を受け、農民のために郷内をくまなく駆け巡った慎太郎の大庄屋時代。武市半平太を盟主とする土佐勤王党に参加、慎太郎の尊攘派の志士として、国事に奔放するようになる、土佐藩時代。土佐を脱藩した慎太郎が、三田尻に入り石川清之助の変名で活躍した、草莽の志士時代。薩長連合工作時代、倒幕運動時代、討幕運動と、慎太郎の足跡が解りやすく展示されています。
 2階は、遺された刀剣・書物、様々な資料から、慎太郎や慎太郎と交流のあった幕末の志士たちの資料を展示されています。

 中岡慎太郎館には幾度と足を運びましたが、慎太郎館では、慎太郎の交友・健脚・政治論・書・剣と5つの局面から分析し、慎太郎がどのような人物だったか、学ぶことができます。坂本龍馬と慎太郎は、近江屋で襲撃されて、わずか29歳7ヵ月で生涯に幕を閉じますが、中岡慎太郎の維新に果たした功績は計り知れません。自身の信念を曲げず、大道を駆け抜けた慎太郎。激動の幕末期に、身分を捨てて、名を変え、死を賭してまで維新に命をかけた慎太郎。慎太郎の人脈の多さ、知識・知恵、何と言っても行動力の凄さは鳥肌が立つほど凄いものです。

 政経塾は「地域から日本を変える」というテーマを柱に学んでいますが、まず自分が変わらないと、周りが変わらない=地域が変わらない。行動すれば知識、知恵はつく、自分が変わるには、まず行動を起こさないと何も変わらない、行動を起こしなさいと言われます。また行動を起こせば人脈も広がるという事も慎太郎から実感できました。特に薩長同盟、倒幕・王政復古現のための薩土盟約などは、多くの人脈が有ったからこそなしとげられたと思います。

 次に「龍馬の生まれたまち記念館」に向かいました。

 南国土佐、高知市は幕末の英雄「坂本龍馬」が生まれた地として全国に知られています。その誕生地である上町に、世界や国家の革命期にあって、その困難を乗り越えさせた龍馬という人材が、なぜここに育ち世に出たのかを紹介し、龍馬を中心とした歴史・観光・文化の推進とコミュニティ育成のまちづくりを目指して、龍馬の生まれたまち記念館を建設したそうです。

 館内は入口を入ると、少年時代の龍馬をイメージし「まっことよう来たねえ、ゆっくり見とうせ」と土佐弁で迎えてくれます。会館名の通り、龍馬が生まれた家、育った町並みのミニチュア模型、龍馬の少年時代から幕末までの成長過程、当時の町並みや景観、事件や出来事等、パネルやCGビデオで知ることができます。

 最後になりますが、偉人の資料館を巡るたびに感じる事は、常日頃から政経塾で学んでいる事を振り返り、原点に戻り以前の自分と比べ、今の自分はどうなのか見つめ直す事ができる時間です。また、これからの自分の人生は自分自身の行動で始まり、様々な人との出会いで決まることを実感させられました。
平成23年7月30日
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