第 215 号
初めての偉人館巡り「村上水軍博物館」訪問
 5月26日、瀬戸内しまなみ海道大島「村上水軍博物館」に訪問しました。

 

 戦国時代、海の大名と呼ばれ、海原を自在に駆け巡り勇猛果敢な海賊衆の実態が、貴重な文献や出土品から学ぶ事が出来ました。

 村上氏は南北朝から戦国時代にかけ瀬戸内海で活躍した一族で、三島村上氏と呼ばれ能島・来島・因島の三家から互いに強い同族意識を持っていたようです。戦国時代になると、村上氏は、その強力な海の武力を背景に、瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治・海運の動向をも左右した。
 来島城を本拠とする来島村上氏は早くから守護大名河野氏と結びつき、因島村上氏は大内氏のち毛利氏の有力な水軍になった。そして、現在の宮窪に本拠を構えた能島村上氏は、三氏の中でもっとも独立性が高く、特に村上武吉は、どの大名にも臣従せず、独自の姿勢を貫いた。

 武吉の時代に全盛を謳歌する能島村上氏は、西は九州から東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握していた。戦時には、小早船を巧みに操り、火薬を用いた戦闘を得意とし、その一方平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割も果たしていたようです。

 村上水軍は、三者三様で来島の村上氏・因島の村上氏・能島の村上氏で各自自分の得意な分野で役割分担をしていたように思いました。小早船での海賊衆の役割も三人で熊手(相手の船を引っ掛け)鉄砲(遠くからの攻撃)槍(近づいてからの攻撃)と無駄のない役割と小さな船の上でも自在に動ける人数で戦っていたことに感銘を受けました。自分も小早船の海賊衆の三人のように何か一つ自分で得意な物を見つけ無駄のない動きや三人での仲間意識を大事にしていきたいと思いました。
平成24年5月26日
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