第 225 号
幻 一「羅漢さん展」訪問
 8月21日に姫路に向かいました、目的は幻一氏に合う為で有る。
 始めに、幻一氏の名前を聞いたのは、ある宴会で、政経塾の支援企業でも有る、細川さん所で宴会をし、案内された部屋に、羅漢さんの木版画が飾れていて、懐かしい思いが頭を過ぎりました。其れは20年ほど前に鳥取に研修に行った時、お寺の名前は忘れましたが、其のお寺の襖が羅漢さんの絵が描かれ、大変興味を持った事です。
 そもそも羅漢とは、インドの宗教一般で「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んだ、初期仏教では、修行者の到達し得る最高位をこのように呼ぶ。学道を完成し、これ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を「無学位」という。それ以下は、不還果・一来果・預流果を「有学」(うがく)位という、特に大乗仏教では声聞を阿羅漢と呼び、批判的に仏と区別した。しかし、大乗仏教では二乗と呼ばれて、阿羅漢と独覚(どっかく)は「仏」になれないとされ、さらには「地獄」へも堕ちることができず、その位のまま輪廻が繰り返されるとする論書さえある。つまりインド仏教において独覚は仏の一種とされている。よって前記の論は中国で発生したと憶測されている、中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢と呼び尊崇した。また、第1回の仏典編集(結集(けつじゅう))に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して尊敬することも盛んであった。ことに禅宗では阿羅漢である摩詞迦葉に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ正法護持の祈願の対象となったそうです。(鳥取での住職のお話です)
 20年ぶりの羅漢の絵、感動でしたので直ぐに、細川さんに羅漢さんの木版画を手に入れた入手方法を聞き、其の時に幻さんの名前を初めて聞きました。翌日偶々、フェイスブックを見ていると、幻さんのページを見つけました。其の中にこころの森美術館構想が出ていて、大変興味を持ち偶々、姫路で20~24日まで展示会をしますとの情報を手に入れ、早速姫路に行くことを塾生に相談し4名が行くことに成りました。只当日一人が如何しても行けない用事が入り、3人で行きました、2時間程で姫路に着き、展示会会場を見学いたしました。展示会会場に入ると幻さんが待って居てくれ、名詞交換をし、直ぐに作品の説明をして頂きました、作品の値打ちは人其々だと思いますが、私には庶民には少し高い様に思えました。
 展示場で2時間半程作品を見たり、お話をさせて頂き、夕方6時の待ち合わせとの事でしたので、ホテルに帰りシャワーを浴び一休みをし、5時半ごろにホテルを出て、待ち合わせ場所であるギャラリーボンボリに向かい、幻さんの案内で食事会に向かいました。入った所は居酒屋と料亭の真ん中どちらとも言えないお店でした。食事をしながら、3時間半ほど幻さんの此れまでの人生、こころの森美術館構想のお話を聞き、幻さんに電話が入り、其処で別れました(何か消化不足でした)
 お店を出て、ホテルに向かったのですが、夜に成ると景色が変わり、道に迷ってしまい、30分程探しましたが見つからず、通り縋りの女性に道を聞きましたところ、彼女は親切にホテルを探してくれましたが、途中で道が判らなくなったのか、友達に電話をし無事ホテルまで連れて帰ってくれました。最近人間関係が希薄に成り、通り縋りの人に道を尋ねても口頭で教えてくれるだけで、中々一緒に探してくれる人は居ない中、彼女に人間味を感じ、心から感謝を申し上げます。出来れば又お会い出来るものならお会いして、ユックリ食事でもしながら、彼女の人生観をお聞きしたいものです。無事ホテルにも着き歩き疲れで直ぐに寝てしまいました。

        

 翌朝、電話が有り急用が出来てしまい、幻さんにも挨拶もせず、一路四国に向かいました。

 今回の姫路訪問は、幻さんに感謝し、それ以上に人間味を久しぶりに感じた大石命さんに感謝です。
平成24年9月22日
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