第 234 号 |
広島平和記念資料館・原爆ドームを訪ねて |
1 はじめに 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に人類史上初めて広島市内に原子爆弾が投下され、また、その何3日後には、長崎市内にも原子爆弾が投下された。この被爆が大きな要因となって昭和20年8月15日、太平洋戦争の終戦を迎えた。 今回の広島研修の目的 ・なぜ広島に原爆を投下したか ・この研修において何を学んだか(考えた)をテーマ にして広島平和記念資料館・原爆ドームを訪ねた 2 なぜ広島に原爆を投下したか アメリカは第二次世界大戦が始まった1939年に原爆の研究、1942年(昭和17年)には「マンハッタン計画」として製造に着手、1945年(昭和20年)に原爆実験に成功した。 アメリカは、この原爆実験に成功により「日本本土上陸ソ連への対日参戦への要天皇存続生の保証戦争集結」等の理由により原爆の使用を決断した。また、広島への原爆については、 ・日本の大本営作戦本部があった ・原爆投下目標都市の中で唯一連合国の捕虜収容施設がなかった ・当時の好天条件の中、攻撃目標も目視で確認が出来た等の理由や攻撃条件が重なり広島へ原 爆投下したと言われている 3 原爆と原発とは 今回の広島平和記念資料館・原爆ドームを訪ね、改めて言葉では言い表せないくらい原爆の悲惨さを認識させられた。 今回の訪問は、奇しく東日本大震災の原発事故被害と原爆被害が一面において人の負の遺産が重なりあうような気がした。人間の能力では、支配が出来ていない事に利益追求を優先して事を起こすと、その裏にある負の遺産をともいうべき落とし穴に落ちる。しかし、人間は、この負の遺産とも言うべき悲惨な出来事を二度と繰り返さないところに「人間力」としての力があるのではないだろうか。 4 結び ある地質学者が、歴史に学び、体験に学ぶという歴史学の歴史は、現在の時点で止まっている。しかし、地質学は、地球の過去の歴史を分析する事により未来を分析することが出来る。これらの事からので地質学者と歴史家には違いがあり、地質学に誇りを持っていると語っていた事を思い出した。 私は、この考えも一理あるが、しかし、歴史の一面だけで物事を判断するのでなく歴史・体験に学び、今後、いかに歴史、経験を生かしていくかに大きな意義があると思っている。 今回の、広島平和記念資料館・原爆ドームを訪ねてこれら『なぜに原爆を広島投下したか』『原爆と原発とは』を考える中で、戦争の悲惨さを再認識し、危険な原子力の平和利用を考えさせられる上でも今回の研修は意義があった。また、これら原子力発電所の問題は、間近に迫った参議選挙において、各党の重要な政策テーマの一つに取り上げられており、この問題は、一言では語れない多くの問題要素を含んでいると考える事からも意義ある研修であった。 最後に、今回の研修で大変お世話になった上村珠美さんのご家族の皆さんに、この紙面を借りて「大変有り難うございました」とお礼を申し上げます。 |
平成24年11月23日 |
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