第 238 号
広島平和記念資料館・平和記念公園訪問
 11月に村上さんが四国政経塾に来塾され、少しの時間ですが講演をして頂きました。村上さんは現在広島にお住まいで、その時に平和公園の事をお尋ね致しました。
 思えば私自身も小学生時に行きました記憶が有りましたが、その時の記憶の中に、原爆に遭われた人達が、皮膚が垂れ下がり、水を求めて歩く蝋人形の姿を思い出しました。その時は、興味本位でしたが、今一度訪れ検証し、自分の中に原爆の恐ろしさを伝えるべきだと思い、11月23日広島の平和公園を訪れました。

 昼ごろに平和公園に着き、村上さん家族が迎えて下さり、早速、原爆記念館に入りました。昔の思い出とは違い、立派な建物に成り、入るとビデオで当時の広島の様子が流されていました。其れから、何故広島に原爆が投下されたかの説明、当時の広島の人達の生活が写真で展示されていました。
 一転、原爆投下の後の変わりはてた広島、模型で原爆が投下される前と投下された後の町の姿が展示されています。

        

 後は、ビルの玄関に座っていた人が一瞬に焼け、黒く残った人影等、沢山の悲惨な遺品が展示されていました。資料館の一説の文章に「僕の目の前を赤トンボがすいすいとんでいって前の堀の上にとまった。僕は立ち上がり、ボウシを手にもつと、赤トンボを取ろうとして、手を伸ばしたとたん・・・」
 原爆が落ちる前まで、広島の人は何の変りもない生活をしている、一瞬にして目の前が暗くなり、灼熱の地獄と変わっていった模様が展示され、原爆の恐ろしさを感じ鳥肌が立ちました。
 資料館を出て、前の平和公園に行き、平和の灯(ともしび)の前で手を合し犠牲者を弔いました。

 此の平和の灯の建立目的
 水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するため。
 灯の点火全国12宗派から寄せられた“宗教の火”、溶鉱炉などの全国の工場地帯から届けられた“産業の火”が1945(昭和20)年8月6日生まれの7人の広島の乙女により点火されました。
 燃えつづける火この火は、1964(昭和39)年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
 広がる平和の灯毎年、核兵器廃絶と被爆者援護の充実を訴えて、広島県内の市町村を一周する「平和の灯リレー」が行われています。また、1994(平成6)年に広島市で開催されたアジア競技大会の聖火に点火されるなど、各種行事において平和のシンボルとして採火されています。
 後、原爆の子の像に向かいました。此の原爆の子の像は1958(昭和33)年5月5日(こどもの日)建立されました。この像は、広島平和をきずく児童・生徒の会達の平和の声掛けによって建てられました。
 三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像(平和な未来への夢を託している)が立ち、左右に少年少女の像(明るい未来と希望を象徴)がある。(高さ9m)
 佐々木禎子さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかける。「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
 佐々木禎子さん、2歳の時被爆した佐々木禎子さんは、幸いけがもなく、元気で活発な少女に成長しました。ところが、10年後の小学校6年生の時に突然白血病と診断され、8か月間の闘病生活の後、1955(昭和30)年10月25日に短い生涯を終えました。禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けました。病気を乗りこえ、懸命に生きようとした「サダコ」の物語は、ヒロシマの悲劇の象徴として、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。子どもたちの運動禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちは、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけました。やがて、子どもたちによる募金活動が始まり、全国3,100校余りの生徒と、イギリスなどの国外からの支援により、像を完成しました。鐘と金色の鶴塔の内部には、子どもたちの気持ちに感動したノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音が出るようになっています。(この鐘と鶴は2003(平成15)年に複製されたもので、オリジナルは広島平和記念資料館東館1階ロビーに展示されています)
 折り鶴台(ブース)の整備この「原爆の子の像」に捧げられる数多くの折り鶴を雨露から守るため、2002(平成14)年4月に、像の周囲に新たに屋根付きの折り鶴台(ブース)が整備されました。原爆ドームも見て帰りに平和の鐘をつかさせてもらい、帰路に着きました。

 今回の広島訪問にあたり、村上ご夫妻にはお世話に成り感謝申し上げます。
平成24年11月23日
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