第 243 号 |
中岡慎太郎館訪問 |
平成25年2月23日に、中岡慎太郎館を6名で訪問しました。私は去年の6月末以来、2度目の訪問でした。今回は、どのようなことを感じることが出来るだろうか。ワクワクしながら建物内部へと進みました。 中岡慎太郎は、その生涯を維新回天のために日本を動き回り、薩長連合の実現、岩倉具視と三条実美の提携、論文「時勢論」の執筆、大政奉還の主張など。そのどれもが倒幕の原動力となり、さらに明治維新の礎となったことは、歴史が示す通りです。先を見通す力、知性と感性、行動力を兼ね備えた人物です。 慎太郎の30年の生涯を「中岡慎太郎館」で知ることができます。慎太郎の人生を史実に基づき、年代ごとに映像やパネルを中心に時系列で展示されています。 中岡慎太郎は、天保9年(1838)、北川郷柏木の大庄屋の長男として生まれました。18歳の時に、藩校田野学館で武市半平太と出会いました。父の病気により、20歳で庄屋見習いとして柚子栽培と植林の奨励を行うなど、農民のために活躍しました。半平太の人柄に惹かれていた慎太郎は、24歳の時に土佐勤王党に加盟。その後、脱藩して維新のために奔走します。わずか29歳と7ヵ月で、近江屋にて坂本龍馬とともに襲撃され、その生涯に幕を閉じました。 幕末の激動期に、身分を捨て、名を変え、死を賭してまで、維新回天に命を燃やした慎太郎。己の信念を曲げず、大道を駆け抜けた彼の足跡が、ここにあります。 慎太郎の活動の原点は、20歳で大庄屋見習いとなり、北川村の政治を行ったことです。大庄屋の仕事を通じて「本当に村人が安心して生活するには、世の中の仕組みを変えなければ、実現ができないのでは?」と考えるようになりました。この人々のために!という熱い思いが、幕末で活躍するきっかけとなりました。 慎太郎は後々、このような考えを残しています。 「学問をするのは偉い人になるためではなく、人間としてどうあるべきか?を磨くためである。また事を実現するのに必用な事は、家柄やお金持ちではなくその人の心がけ次第である」 (文久元年11月26日北川竹次郎宛の書状より) 「物事を成功するためには、しっかりと目標を持つこと。その実現のために、それぞれの個性や特技に合わせて、国のため、家族のために、こつこつと行動することである」 (慶応3年夏「時勢論」より) 読んでみると、なるほどなと思うが、自分にこのような考えが出来ただろうか?今でも、かなり難しいことです。しかし、先人たちが心に描き繋いできた日本の未来は、停滞や後退するためのものではないはず。また、私の人生も然り。 人間磨きのため学問を習得しよう。家族のため、地域のため、国のために、学問を用い知恵を用い行動しよう。しっかりした目標を掲げよう。成功するまで、諦めず行動しよう。成功する秘訣は、成功するまで、行動を続けること。成功後も停滞や後退せず、前進を続けること。行動を辞めないこと。今回の訪問で、物事を達成するために目標を持つ大切さ、人のため、世のための行動が、いずれ自分に還ってくることを、更に強く感じました。 これらを胸に、万事研修を心がけ日々の研修に努めます。多数と行動できる自分づくり、今後もっともっと磨きたいと思います。行動は、いつやるか。今でしょう。思い立ったが吉日。躊躇せず行動しよう。と自身に都度再確認しながら、こつこつと行動したいと思います。 次回訪問時は、どのようなことを感じるのか楽しみです。 |
平成25年2月23日 |
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