第 244 号
中岡慎太郎館訪問
『歴史から、今生きている人生の方針を学ぶために』
 二回目の中岡慎太郎館を訪れたのは、本年(平成25年)2月23日(土)の晴れた日であった。
 今回は、中岡慎太郎の人間形成の生い立ちの中でこのなぜ、土佐で維新の英傑が生まれたのか再度考えてみたかった。
 この疑問を中岡慎太郎館の前にある中岡慎太郎土産店の経営者と思われる男性に訪ねると
 ○土佐は、産業や産物が無く貧しかったから必死になって学問を身につけて自分の道を切り開いたのではないか。等の答えが帰ってきて中岡慎太郎を紹介した「この人は誰でしょう」と題したパンフレットをもらった。
 中岡慎太郎は、1838(天保9年)年この土佐・北川村の大庄屋の跡取りとして生を受け、3歳で文字を習い、4歳で松林寺(しょうりんじ)にて学び、7歳では、片道70分をかけて山道(向学の道)を歩き島村塾へ通い、14歳の頃には先生の代わりに授業を教えていた。17歳の頃には、田野学館に通い世の中のことや学問を学ぶ中で武市半平太ら土佐勤王党等の関係者と交わり大きく成長した。
 これらの経験をもとに20歳の頃には、父親に代わり庄屋の仕事を行い、高知城下にて米をわけてもらったり北川村名産のゆずの栽培をすすめたりして食べ物で苦しむ村民を助ける等して庄屋の主として村民に尽くした。28歳の頃には、人間尊重、個々の能力を伸ばす時代を築くために外国と対等につきあう新しい国造りを考えた「時勢論」をつくり「時勢論」は、土佐藩の同志はもとより幕末期の土佐藩に影響を与え維新への土台造りを行った。
 この影響を大きく受け土佐藩では自分を捨てて民衆のために新しい国を造るという強い意志のもとに維新の思想が広がり、土佐藩の根強い維新思想の基礎は貧しさと学問を通じて知能と知識を備えた「個人の意思」の強い維新思想が生まれ、中岡慎太郎をはじめとする坂本竜馬、武市半平太、後藤象二郎、板垣退助、岩崎弥太郎等の傑出した英雄が生まれたと思われる。
 土佐の英傑の特徴は、自分を捨てて民衆のために新しい国を作る維新思想の強さにあり、その基礎には貧しさと学問を学ぶことにより「個人の意思」の強い思想が生まれたと思う。

        

 長州の吉田松陰は「過去の歴史から、今生きている自分達の指針となるものを学びとらなければ、歴史は無用の長物でおる」との言葉を残しており、今回、再度、中岡慎太朗館を訪れて過去の歴史を学ぶ中で、土佐藩は、貧しさの中から生まれた個人の意志の強さにあり、それは学ぶ事により知識と知恵をしっかりと持った根強い維新思想に裏打ちされていると考えた。

 今回、中岡慎太郎館訪問において中岡慎太郎という人物から学んだ
 
 ○常に向学心を持ち続けているか。(一生現役、一生勉強)
 ○常に他人を思い行動をしているか。(情けは人のためにあらず)
 ○理論に実践の裏打ちをわすれていないか。(知識と知恵の両立)
 ○誰が言ったのではなく、それは正しいかを考える力を持っているか。(常に勉強)
 ○常に、次に向かって進んでいるか。(先見性を持つための向上心)
 ○自己を犠牲にして他人に尽くしているか。(没我献身?)
 ○命がけの人生を過ごしているか。(ここまでやるかの精神、最良のうえに最良がある)
 をいかに実践しているかを反省して、今後も中岡慎太郎人物像を学ぶなかで、今生きている自分の指針としたい。
平成25年2月23日
目次へ