第 247 号 |
・絵金蔵 ・自由民権記念館 龍馬の生まれたまち記念館 訪問 |
平成25年5月18日(土)、偉人館巡りの為、記念館を3件訪問しました。 3件とも、私は初めてではないのですが、朝9:30塾を出発し、まず絵金蔵を訪問しました。 絵金蔵では、闇と絵金、蔵の穴・絵金百話と三つの展示室、あと映像ホール、収蔵庫とあり、まず、館内を回る際、入口で提灯を渡されました。闇と絵金展示室は薄暗く、薄暗い中に芝居屏風等が展示されていて少し恐ろしく、独特な雰囲気でした。 絵金蔵の絵金とは、人の名前で「絵師・金蔵」略して絵金です。「絵金」は通称、他にも洞意・友竹・雀翁など、たくさんの名前を持っています。江戸で狩野派の修行をして、帰郷後は土佐藩家老桐間家の御用を勤め出世、ところが贋作事件に巻き込まれ、城下追放となる。町に下った絵金は叔母を頼りにこの赤岡の町に定住し、酒蔵をアトリエに絵を描いた。 【贋作事件】 贋作事件とは、類い稀なる画才から18才にして江戸で狩野派に学び、21才で土佐藩家老桐間家の御用絵師となった絵金、当時の林洞意は贋作事件に巻き込まれます。古物商中村屋の依頼により、狩野探幽の模写を描いた絵金は、偽絵を描いたと弾劾され、狩野派破門、御用絵師解任となり、高知城下追放となって、転落の途をたどる事となった。しかし、土佐藩の記録には残っておらず、それは絵金の才能に対するねたみか、陰謀か、真相は全て闇の中の出来事として、歴史の彼方に葬られています。 絵金は、芝居屏風以外にも、掛軸や絵馬、横幟・凧絵・絵馬提灯など様々な作品を手掛けています。芝居絵の下絵やデッサンだけでなく、花鳥・山水・歴史人物など狩野派風の作品、墨一色で描かれた白描も数多く残されています。 「血赤」と呼ばれる絵金の赤は、強烈な色彩の中でも特に赤の鮮やかさは際立っている。とはいっても実際の血の場面は意外に少なく、背景や人物の着物などに黒や緑を配することで、観る者に赤を強烈に印象づけると、パンフレットに書いてありました。また、赤の色は、魔除けの色とも言われているそうです。 次に、自由民権記念館を訪問 自由民権運動とは、明治維新によって新しい時代となり、このあたらしい日本をどういう国にしていくのか?このことを真剣に考え、明治政府の目指す方向とは違う道を構想した人々が「明治第二ノ改革」すなわち自由民権運動を呼びかけ、これに賛同する多くの人々が運動に参加した。 憲法をつくり国会を開く、税金を安く、言論や集会が自由な世の中にしようと彼らは訴え、運動は全国に広がり、日本で最初の国民的な民主主義運動になり、その中で「自由は土佐の山間より」と言われるように、土佐の人々は大きな役割を果たしました。先人達の多くの人が苦労をかさね生まれた民主主義政治、今の日本の政治は・・・? 松下政経塾の塾是に「真に国家と国民を愛し」とありますが、松下幸之助塾主の考える、総理大臣になる人の第一の要件は「国民を一様に愛し、その国を真に繁栄させようということに力強い信念を持っていること」。また、国会議員を志す人は「まず、国を思い、国民を思う気持ちが自分にはどれだけあるか、自問自答して、確信のもてるときにはじめて立候補すべきであろう」立身出世しようというような、いわば私心をもって立候補することを厳に戒めています。 今の政治家は、私利私欲に捉われることなく、ほんとうに、国民を一様に愛し、その国を真に繁栄させようということに力強い信念を持っているのか、と疑問を抱いています。 次に、龍馬の生まれたまち記念館を訪問 南国土佐、高知市は幕末の英雄「坂本龍馬」が生まれた地として全国に知られています。この記念館の訪問も2度目になりますが、入口を入ると、少年時代の龍馬をイメージし「まっことよう来たねえ、ゆっくり見とうせ」と土佐弁で迎えてくれました。会館名の通り、龍馬が生まれた家、育った町並みのミニチュア模型、龍馬の少年時代から幕末までの成長過程、当時の町並みや景観、事件や出来事等、パネルやCGビデオで知ることができます。 皆さんも、是非訪問して下さい。最後になりましたが、一緒に参加していた吉村さんには、道中車の運転お疲れ様でした。有難う御座いました。 |
平成25年5月18日 |
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