第 268 号
四国政経塾20周年を祝って.....

27 張 秀 花 ( チャン・スゥファ )

 直行便がない関係で、午後に到着して再び四国中央市に2時間の間車両で移動した。松山空港で大和田良夫塾頭様と幹事桐内、そして四国政経塾の塾生たちの嬉しいお出迎えを受けた。一日の間の長い移動があったが塾頭様の配慮が混ざったおいしい夕食を食べて私たちは各自の部屋で日本の初夜を送ることになった。

     

 二日目の日ざわめく鳥の鳴き声を聞いて眠りから覚め学塾長様と共にさわやかでゆったりとした気持ちで朝食をした。そして大和田塾頭の奥様の配慮で私たちは新居浜炭鉱村で楽しい観光をすることになった。奥様の節約してある美味しいおやつ材料を受けた時の嬉しい気持ちが今でも感じられる。真っ赤な汽車に乗って到着した新居浜で昔、日本炭鉱での生(生活)と、学塾長様に賞金を受けた砂金掘り体験は一層楽しい時間になった。そして何よりも、日本の秋の山中で穏やかな余裕を持って、涼しい風を感じて、素朴で可愛らしい花を見て、私が日本の中に本当に来ているんだね! と実感をした。清潔で淡泊な美味しい昼食を食べてホテルに戻って四国政経塾の20周年記念式準備をした。
 4時に始まった記念式では松下政経塾頭の特講と共に人士たちが参加したレセプションに参加することになった。そこの多くの人士たちと祝いのメッセージが伝え続けられた。そして大和田塾頭様の“縁”に対する感動のお言葉は24年の歴史を持つ機会の学塾との特別な縁をどれくらい大切だと思っているのか知るようになった。
 何よりも機会の学塾 学塾長様のカリスマと祝賀挨拶はレセプションの雰囲気を圧倒して宿縁さの中で感心を受けた。もちろん、共に参加した機会の学塾生たちの誇らしさに私たちは感謝の挨拶をレセプションが終る時まで継続された。四国政経塾の20周年の行事が終わった後学塾長様を仕えていっそう気楽でゆったりした時間を持った。日本訪問に対する話、生に対する話、そして明日に対する話は日本での最後の夜を惜しくさせた。

     

 日本での最後の日、私たちは各自の荷物と豊富なお土産を持って大和田塾頭様と共に時間を過ごした。大和田塾頭様が私たちのために準備された最後の贈り物、道後温泉体験が飛行機時間で失敗に終わったが小さいコーヒー店でのコーヒー一杯を最後に松山空港に出発した。大和田良夫塾頭様の大きい贈り物に空港で私たちは笑うことができないハプニングもあったが、幸いソン・ポンギ先輩の隣座席に座らせて安全ベルトを絞め、無事に韓国に戻ることができた、手厚い歓待をしてくれた塾頭様と親切な桐内、また、常に笑いと余裕があることと、節約してある配慮で感動を与えた奥様、二日間、遠い距離の移動を手伝ってくれた吉田塾生と名前を覚えられなかった新入塾生、そして、機会の学塾の訪問時受けた有り難みを、私たちに見せた四国政経塾の多くの塾生たちの親切に真に感謝することを感じる。
“私たちは卒業生がない、政経塾を通えば皆が最後まで塾生である。”という鈴木議員の言葉は、機会の学塾を卒業したと考える私はもちろんのこと、学塾を知っている私たちが、どのように学塾を思い、どのように感じなければならないかを考えるようにした。機会の学塾の大切さを知って誇りに思って、自身のことに最善を尽くしている多くの学塾生たちに機会の学塾を通じて感じた情熱がよみがえればという風を持ってみる。

平成25年11月2日
目次へ