第 272 号 |
『中岡慎太郎館・高知歴史民俗資料館』 |
「尊皇攘夷」に大道を見出すまでの思想形成の出発点は、故郷、北川村の厳しい自然と、田畑が少なく貧しい思いをする人々にあったようだ。実家は、大庄屋という役職にあり、そんな村民の生活を守る立場にあり重責を担っていた。慎太郎は、幼少期において父親が私財をさいてまで村民のために働き励む姿を見て育ちながら「民衆の暮らしを守る」と言う考えが精神に根ざして行ったものと思う。 また、強い精神力と学問から学んだ知識は、日々かかさずに山道を片道90分かけて勉学に通いました。恩師である漢方医の島村策吾、間崎、武市といった優れた人物との出会いなどにより、国家を考える力と見識を深める事の刺激を与えたのだろう。 2.慎太郎の国家ビジョン 慎太郎が「時勢論」で述べる国家とは、「危機意識を持って民衆を守り、前例や身分にとらわれない、適材適所に人材を配して政治運営がなされること」とある。そして、スローガンは「尊攘」と称して尊皇と攘夷すなわち、天皇を国の頂点にいただいた政治体制を構築し、国防のための軍事力を充実させることを説いています。 「攘夷」の解釈として、外国からの不当な侵略・戦争などの軍事的圧力を受けた場合独立国家として存続するために戦う事であるという解釈を打ち出しています。 3.慎太郎の思想の核 慎太郎の思想の核は「人間の尊重」です。 「国家形成の基礎は人間である、人間が持つ長所を活かすことが大事である」さらに、「人としての価値は、家柄ではなく自分自身が何をなすかによって決まる」と慎太郎は友人にあてた手紙で述べています。人間が人間らしく暮らせる平和な世の中をつくることが願いであったようです。 私が中岡慎太郎の「志」に感じたこと。慎太郎の生家や手紙などおおくの足跡を拝見して感じたことは、勉学を極めていく過程で多くの人々との出会いを求めて行動したように思う。そして、志を持った人からの刺激を受けながら、更に行動して「国家を思う志がつくられた」のだと感じた。 今回の偉人館巡りでは、慎太郎が幼少期から「志」を立てようと本気になって学び、そして、真剣に志を立てようと多くの友や同志から刺激を受けながら、持論を展開して志を貫きました。私も、家族を思い、国家を思う大きな「志」を考える人間でありたいと考えます。 |
平成26年4月26日 |
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