第 279 号 |
坂本龍馬記念館・龍馬のうまれたまち記念館訪問 |
8月23日(土)に高知市内にある坂本龍馬記念館に行きました。高知市内にはよく行ったりしますが、坂本龍馬記念館は初めてでした。高知で有名な坂本龍馬がどのような人物か興味を持っていたので楽しみにしていました。 手紙から見る龍馬の人柄を分析してみます。文字の大きな人は大らかなイメージがあり文字の細かい人は繊細なイメージがあります。龍馬は紙によって文字の大きさが変化するので臨機応変という印象を受けます。豪快で自由奔放なイメージが染みついている龍馬ですが、手紙を通してみる龍馬は細やかな気配りと相手を思いやる優しさが全面に出ている人物で、明るく独特の感性の持ち主です。 龍馬の手紙には面白いものだけでなく、政治的で真剣な手紙も数多くあります。特に慶応3年10月13日、二条城に登る直前の後藤象二郎に送った手紙は約140通ある龍馬の手紙の中で最上級に重要な手紙です。後藤に送った原本は失われていますが、平成20年に下書きが見つかり、現在では坂本龍馬記念館が所蔵しています。徳川慶喜が二条城に諸藩の重臣を集めて、大政奉還について諮問する直前に龍馬は脅しにも似たような激励の手紙を後藤に送りました。「大政奉還がもし失敗すれば、二条城で切腹するくらいの覚悟で臨んでほしい。自分も海援隊を率いて、慶喜の下城を待ち受け斬り込んでいくので、地下でご面会しましょう」という内容になっています。それ以外には、高千穂峰登山の手紙においても、「天下の世話は実に大ざっぱなもので、命さえ捨てれば面白いものだ」と書いています。事実として龍馬は国の改革に命がけで臨んでおり、幕臣の大久保一翁は、松平春嶽に宛てた手紙で、「龍馬ら志士は、国のために命を捨てる覚悟ができている点で、幕臣より優れている。今、幕臣にはそのような人材がいない」と記し、「志士とは得難きもので、この者らを登用するべきだ」と説いています。 龍馬といえば薩長同盟を結んだことで有名です。龍馬は日本を変えるためには幕府を倒し、新しい政治の仕組みを作らなくてはいけないと考えました。そこで力の強かった薩摩と長州が協力するよう考えました。しかし、薩摩と長州は仲が悪くいがみ合っていました。龍馬は亀山社中を使い、「欲しい武器が手に入らない長州には薩摩の名前で買った武器を送る」「米が欲しい薩摩には長州から米を送る」という提案をしました。これが決め手となり薩摩と長州は力を合わせることになりました。 薩長同盟によって幕府を倒すための準備をした龍馬だったが、戦争ではなく平和的なやり方で倒す方法としてもう一つ新たな策を考えました。「船中八策」という新しい国の形を8つの内容にまとめたものでした。これは龍馬が出会った多くの人々の意見を聞き、自分の考えを入れてまとめたものです。船中八策をもとにした土佐藩の提案を受け入れた徳川慶喜は、慶応3年10月に政治を行う権利を朝廷に返しました。 船中八策の内容としては、 ①幕府は国を治める力を天皇に返す ②上下2つの議会をつくり、物事はよく議論して決定する ③重要な役には全国から優れた人を集めてつける ④外国との交際はよく議論して、間違いのない約束を結ぶ ⑤新しい憲法をつくる ⑥海軍の力を強くする ⑦天皇がいる都を守る兵隊を置く ⑧貿易では、外国と公平な取引ができるようにする 次に同じ高知市内の龍馬の生まれたまち記念館に行きました。「まっことよう来たねえ」と少年時代の龍馬が土佐弁で迎えてくれました。高知城下タイムスリップマップは細かく丁寧に作られていてクオリティの高さに感心しました。 両方の場所を巡って偉人の性格やその当時の生活を知ることでどのような人物だったか垣間見ることができて楽しかったです。それとともに周りの人とのつながりがあって成長してきたことが実際に偉人館巡りをしてよくわかりました。私生活でも人とのつながりをひとつひとつ大事にしていきたいと改めて感じさせられました。 |
平成26年8月23日 |
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