第 286 号 |
京都訪問 |
10月29日から2泊3日で京都を訪問しました。今回の京都では、しまの大学・代表理事 村上律子さんからお誘いがあり、同行させて頂く事になりました。村上律子さんは、しまの大学・しまの会社・NPO法人弓削の荘・弓削の摘み菜と、上島町で幅広く活躍されている方です。勉強不足で何時代かはわかりませんが、上島町弓削島のあら塩が京都・東寺を通して天皇陛下に献上されていました。何時の時代かは聞いていませんが、塩の献上もなくなっていましたが、弓削島で古文書が残っており、村上さんの活動により何年か前に復活、現在東寺へ弓削の塩が献上されています。今年3月26日に弓削島の塩を東寺に献上する行事に四国政経塾も同行させて頂く事になり、大変貴重な体験をさせて頂きました。そして、今回も村上さんのお声掛けで、国宝東寺百合文書世界記憶遺産登録祝いの会、東寺領 縁の会主催・祝賀会に、同席させて頂く事になりました。せっかく京都に行くのなら、松下幸之助資料館・霊山歴史館も訪問しようという事になり、2泊3日の京都訪問です。 東寺への訪問は31日ですが、29日、松下幸之助資料館の館長・遠藤紀夫さんと3時のアポを事前に取っていたので、その時間に間に合うよう塾を出発、思ったより京都へは早く着く事ができ、先にホテルのチェックインをすませて資料館へ向かいました。資料館では、遠藤館長、事務所の方が快くお迎えして下さいました。それぞれ名刺交換をして遠藤館長直々案内をして下さいました。日々、塾での勉強会で故・松下幸之助塾主の教え、人間観・国家観・経営哲学等、その他たくさん学んでいますが、資料館を訪れ、遠藤館長からの講話を自分なりに頭をからっぽにして学びました。松下幸之助塾主は「日本は混迷の度を深めていく」政治・経済における日本の危機的状況を予見し、この難局を打開するために「新しい国家経営を推進していく指導者育成が必要」との思いから、私財70億を投じ、松下政経塾を設立しました。人は皆、自分一人で生きてはいけない、人と人が交わり合い生きている。家庭においても、社会においても、人なくして生きてはいけない。まず、人を知る事、人材育成の考え方で、人材なくして経営は成り立たない、人しらずして人は育てられないと、幸之助塾主の教えにあります。人は長所・短所をもっています、短所よりも、長所を生かせば良い人材が育つ、経営においても、社会・私生活にも同じ事が言えます。人の長所を生かすには、人を知らなければはじまりません。私は、経営者ではないし、経営者になる器もありません。また人を育てるという事もできません。ですが学んでいる中で、人を知ってこそ、お互いの悪いところ、良いところがわかり、生涯通じて人と人との付き合いができると思います。しかし、人を知るには、まず、自分自身が常に、謙虚な心・感謝の心を忘れてはならない事も学びました。また、素直な心では、以前、韓国・機会の学塾で「素直な心」を話させて頂きましたが、塾の勉強会の中での「素直な心」では、1.私心にとらわれない 2.耳を傾ける 3.寛容の心 4.実相が見える 5.道理を知る 上記、5ヵ条を学びました。資料館では「素直な心の内容10ヵ条」が掲げられていました。 素直な心の内容 10ヵ条 1.私心にとらわれない 私利私欲にとらわれる事のない心、私心にとらわれない心 2. 耳を傾ける 誰に対しても、何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心 3. 寛容 万事万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心 4. 実相が見える 物事のありのままの姿、本当の姿、実相が見える心 5. 道理を知る 広い視野から物事を見、その道理を知る事のできる心 6. すべてに学ぶ心 すべてに対して学ぶ心で接し、そこから教えを得ようとする謙虚さをもった心 7. 融通無碍 見方や考え方を変え、よりよく対処していくことのできる働きのある心 8. 平常心 どのような物事に対しても、平静・冷静に対処していくことのできる心 9. 価値を知る よいものはよいと認識、その価値を正しく認めることのできる心 10.広い愛の心 人が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心 上記、10ヵ条を述べさせて頂きましたが、人を知るうえでは、この素直な心が必要だという事も再認識させられました。 「素直な心で聞く耳を持ち、素直な心で人と接し、素直な心で物事を見る。そうすれば物事が全て今までとは違った言葉を聞く事ができ、今までとは違った人との接し方ができ、今までとは違った視線で物事を見る事ができるし、自分も変われる。素直な心が欠ければ心理を見失う。素直な心になって初めて心理が認識でき、素直な心とは、心理を映す最も正しい鏡と言える」と学んだが、この心理を映す最も“正しい鏡”とは人だとも思います。人を知るうえで、先ず自分が変わらないと、人も自分を知ろうと接してはくれない。自分自身が常に、謙虚な心・感謝の心を忘れず、素直な心で今日、明日へと進んでいかなければならない。今回資料館を訪問する事で、素直な心の10ヵ条を知る事ができました。資料館の展示室は、映像を通して、わかりやすく紹介してくれていて、各ゾーンでは、A.松下幸之助の歩んだ道 B.経営道・商人道 C.経営者・リーダーの条件/人材育成の考え方 D.人生の生き方・考え方/働くということ E.政治への情熱 / 限りない繁栄国家を求めて F.庭園シアター 松下哲学の真髄、と紹介されています。次回再度訪問をして、パネル一つひとつゆっくり自分の目で読み学びたいと思っています。遠藤館長にはお忙しい中、遠藤館長直々の講話と館内の案内をして下さり、本当に感謝しております。次回は四国政経塾へ来て下さる事を約束して下さいましたが、来て下さる事を信じて楽しみにしております。今回の訪問では大変お世話になりました。 30日、最初の予定では、二条城を訪問する予定でしたが、同行していた鈴木さんが京都の観光雑誌を持ってきていてくれて、私が三十三間堂に行った事がないと言いだした事で、この日は、三十三間堂と霊山歴史館を訪問する事に変更です。三十三間堂では、本堂に足を踏み入れると、中央の巨像を中心に左右に各500体、合計1001体のご本尊が並んでいました。その本尊の数に圧倒されました。パンフレットによると、正しくは「十一面千手千眼観世音」といい、三十三間堂の像は檜材の「寄木造り」で、頭上の11の顔と40種の手に表現される。中央の巨像・中尊(国宝)は、大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の時の造像で鎌倉期(建長6年)の名作と評価される。等身立像の中124体はお堂創建時の平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて復興されたとあります。また、三十三間堂は正式には蓮華王院(国宝)といい、長寛2年(1164)鳥辺山麓(現・阿弥陀ヶ峯)の後白河上皇・印政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。約80年後に焼失したが、すぐに復興に着手し文永3年(1266)に再建され、その後室町・桃山・江戸・昭和と4度の大修理により700余年間保存されている。長いお堂は和洋の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で約120メートル。正面の柱間が33あるところから「三十三間堂」と通称されたそうです。観光雑誌で載せられている本尊は輝いて載せられていましたが、実際の本尊は色が落ちており、雑誌ほどの輝きはなかったが、1001体のご本尊には、驚きました。同行していた大和田塾頭の話によると、塾頭の子供の頃、修学旅行などで訪れた時の記憶では、金ピカに近い輝きだったと話してくれました。時代の流れと共に、1001体のご本尊様に見守られていると思いながら心の中で手を合わせながら拝観しましたがやはり京都は観光客が多く、この日は修学旅行シーズンでもあり落ち着いて見る事ができなかったのが残念でした。次回来る事があればゆっくり見学したいと思います。 次に、霊山歴史館に行きました。塾の勉強会や偉人館巡りなどで何度か訪問した事もありますが、霊山歴史館では、幕末・明治維新期の歴史専門博物館で、勤皇・倒幕の志士たちをはじめ、書・詩文・遺品・書状・資料・文献など数多く公開展示されています。時期によってはテーマを定めた特別展も開催され、今年2015年通年特別展では、明治維新で活躍した志士を育てた吉田松陰。その松陰を育てたのが、杉家の家族たちNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で放送され、主人公は、吉田松陰の妹・文、文は杉家の四女に産まれ、文は家族と松下村塾を守るため、女としての戦いを生き抜いていくというドラマだった。通年特別展では「松陰をめぐる人びと」を開催し、第1期「松陰と松下村塾」、第2期「松陰と安政の大獄」、第3期「池田屋事件と禁門の変」、第4期「薩長同盟から維新へ」と、松陰をめぐる人びとを中心に、薩長同盟や明治維新を展示しています。1期~3期までは期間が終了していますので、第4期=12月27日までです。ドラマを見た方や興味のある方は足を運んでみては…。 霊山歴史館の向かいの山には、維新の志士・約3,100柱が祀られていて、祀られている3,100余柱のうち墓碑の確認されているのは386柱。 今回、松下幸之助資料館を訪問する事で解った事があります。遠藤館長から霊山歴史館は幸之助塾主が整備し設立したと話してくれました。元々霊山には明治天皇の命により維新の志士たちの御霊が祀られていたが、戦争の影響もあり荒廃してしまいました。それに心を痛めた松下幸之助塾主と有志の方々が霊域・歴史館を整備しなおし設立されたそうです。 予定では霊山歴史館で終了でしたが、同行していた鈴木さんが、時間があるので上賀茂神社は世界文化遺産になっているからと連れて行ってくれました。上賀茂神社は、京都でも最も古い神社。賀茂氏の氏神として祀られたのがはじまり、平安遷都の際に皇城鎮護の社となり、あらゆる災難を除く厄除けとの神として信仰されています。境内は広大な芝生が広がっていて、春には桜が美しく、和歌にも詠まれた「ならの小川」が流れ、60を超える社殿が並んでいます。ちょうど、この日は何かの奉納祭り事が開かれていて、能面を付け舞っていて、見学する事ができました。TVではみる事があっても実際に見たことがなく、偶然とは言っても鈴木さんのお陰で見学できたことに感謝しています。 最終日31日、上記説明していた国宝東寺百合文書世界記憶遺産登録祝いの会、東寺領 縁の会主催・祝賀会に出席するため9時半に東寺へ入りました。会場には、村上律子さんをはじめ、参加者の皆さんが到着していました。しばらく時間を待っていると、長者様がお見えになり塾頭が長者様に挨拶にいったら、長者様から、長者様直筆の書を頂いていました。しばし時間が過ぎ、式典が始まりました。 参加者の方の挨拶・活動のお話、長者様のお話がありました。その後、団体の皆様と記念撮影、長者様と個別に記念撮影をして式典が終わり、祝賀会の会場へと移動しました。 祝賀会では、東寺・総務部長 砂原様の乾杯挨拶に始まり、食事をしながら参加されていた団体の方々と東寺の結び付きについて話して下さり、穏やかな雰囲気の中食事をしました。料理は、参加されていた方々の地域から持ち寄った食材を取り入れた料理で、京都ならではの上品な料理に仕上がっており、とても美味しく頂きました。 祝賀会の後、総務部長 砂原様が特別展で公開されている「十二神将」を自ら案内して下さるという事になり、灌頂院へ移動となりました。東寺の本尊、薬師如来を守護する、十二神将を灌頂院で初公開していて、灌頂院は真言密教の秘儀を執り行う重要なお堂です。その荘厳な空間で、十二神将の干支を意識した造形や躍動感あふれる姿を間近で拝観する事ができます。また「子神将」は、薬師如来の台座、北側に安置され、通常の拝観では決して目に触れる事がない仏です。 十二神将とは、薬師如来の取り巻き、あるいは分身といわれる12の神将。薬師経を誦持するものを守護するといわれています。 十二神将 毘羯羅(びから・ネズミ) ・招杜羅(しゃとら・ウシ) ・真達羅(しんだら・トラ) 摩虎羅(まこら・ウサギ) ・波夷羅(はいら・タツ) ・因達(陀)羅(いんだら・ヘビ) 珊底羅(さんてら・ウマ) ・頞儞羅(あにら・ヒツジ) ・安底羅(あんてら・サル) 迷企羅(めきら・トリ) ・伐折羅(ばさら・イヌ) ・宮毘羅(くびら・イノシシ) 残念ながら撮影はもちろん禁止ですので、撮ることができませんでした。本来は目に触れる事ができないので、拝観に来られなかった方は残念です。 今回の京都訪問では、貴重な経験をさせて頂きました。これも普段教わっている人脈の大切さだと思います。国宝東寺百合文書世界記憶遺産登録祝いの会、東寺領 縁の会、祝賀会という場に出席する事は、村上さんのお誘いがあればこそ参加できた事です。まして、東寺・長者様直筆の書を頂く事は、そう簡単に頂けるものでもありません。そして、東寺・総務部長様のお声掛けもあり、目に触れる事のない仏を拝観できた事も、村上律子さん、大和田塾頭の人脈のお陰だと感謝します。そして、松下幸之助資料館では遠藤館長にお世話になりました。また、鈴木さんには車の運転ご苦労様でした。皆さんには大変お世話になり、良い京都訪問ができた事に感謝いたします。有難う御座いました。 |
平成27年10月31日 |
目次へ |