第 293 号
高知県立民俗資料館・自由民権記念館・坂本龍馬記念館訪問
 先日の5月21日は高知県への偉人館巡り勉強会へ参加しました。

 最初の訪問先として高知県立民族資料館へ初めて訪問しました。この資料館は南国市にあり、南国インターをおり国道32号を南に下るときに右手山の山頂付近に見え隠れする立派な屋根の建物です。仕事や遊びでもそこは良く通りますが訪問するのは今回が初めてでした。後で知りましたがその山が長宗我部氏の居城 岡豊城あとそのものだと言う事は現地に行って初めて知りました。私も、全くのはじめての訪問でしたが予備知識も入れづに行きました。思っていたより、けっこう立派な施設となっていましたので、さすがは観光県高知県と思い感心しました。
 この施設のメインのとしては、その旧岡豊城後に立っている施設でありますから、当然、長宗我部氏、長宗我部元親に関する展示が主になっています。それと、日本の高知県を中心とした、古代から現代までの民俗を中心とした時代の流れを、その時代を表す資料とともに展示しています。午前中だったと言う事もありあまり人も多くなくゆっくりと見学することができました。
 私も全く日本史には詳しくなく、知識もないのですが、この近年、歴史好きの歴女にも大変人気のある長宗我元親、長身、イケメン、色白で、幼少の折は学問好きで勉強家、しかし、いざ初陣となると武勇を発揮する姿はアニメ、ゲームにすれば人気がでるキャラクターには間違いない感じがします。
 また、そのようなキャラクターの人気にあやかりたいのか、この資料館の前の銅像はかなりの現代的イケメンの仕上がりであります。余談ではありますが、長宗我部元親の銅像に関しては、高知市桂浜の西方の公園にある元親初陣の像はかなりのかっこよさがあるので合わせて見学してもらいたい、わたしのおすすめであります。
 しかし、この長宗我部氏は初めて四国を統一しただけでなく、中世と近代にも大きな歴史的なターニングポイントに大きな影響を与えているかもしれないと言う事です。
 諸説はあると言う事ですが、織田信長が明智光秀に襲撃され自害させられた本能寺の変。  一番の要因は、留意調整する明智光秀に対しあくまでも長宗我部を討とうと進めようとする信長に対して、明智光秀は長宗我部氏を守るためにせっぱつまって本能寺の変を起こしたという説が有力になってきたと言うこと。近年それに関する資料が、発見されたと言う事です。
 もう一つは、明治維新に坂本竜馬など多く活躍した高知の下士の武士は、この長宗我部氏の家臣が元だということです。長宗我部氏は最終的には大阪の陣で滅びる事にはなりますが、のちに高知に入った山内家、その時長宗我部氏への忠誠からあまり山内家のゆうことを聞かなかったと言う事。結果山内家が長宗我部氏の元家臣に対して下士という身分をつくり、上士下士を差別したと言う事です。
 結果的に、このことが幕末の大きな動きに影響を与えたかもしれません。なかなか、長宗我部氏と高知県の歴史は関係が深いのであります。

 次に訪問したのが自由民権記念館です。私は、ここも初めての訪問でした。ばくぜんと、自由民権運動といえば板垣退助の名前しか浮かびませんでした。予想するに、展示のほうも板垣退助を中心とした中心としたものになっているのかと思っていました。確かに自由民権運動にとって板垣退助は始まりの中心人物ではありますが、自由民権運動の大きな流れの中で、板垣退助以外の多くの多くの高知の人物が志を持って、この自由民権運動にかかわったのかがわかります。
 今は高速道路もでき交通の便もよくなり、観光地となった高知県ですが、当時は交通の便も悪く、当時は東京からも遠く、日本でも本当に僻地だったと思います。そのまた山中より、自由や平等権利の為に頑張ったひとがこれほど多くいたとは本当に驚きです。
 ほとんどその時期に活躍したひとがいない愛媛県人にとって、高知県人に感心するばかりです。

 最後は坂本龍馬記念館を訪問しました。私はこの施設は再訪でした。時間もいい時間でしたので、さすが坂本龍馬です、来館者は非常に多かったです。先日訪問した、中岡慎太郎記念館に比べて格段に人が多かったです。
 今回で坂本龍馬記念館の訪問は二回目だったのですが、今回の訪問で、同じ土佐の幕末の志士の中岡慎太郎にたいして坂本龍馬が、これほど人気があるかわかりました。
 海援隊の坂本龍馬と陸援隊の中岡慎太郎、薩長同盟にしてもおぜん立てをしたのは中岡慎太郎のほうです。人物的にも中岡慎太郎の人物を評価する証言は多く残っているようです。しかし、坂本龍馬には後の人間か坂本龍馬を研究するための自筆の文章や書状が数多く残っているのです。薩長同盟の裏書から、田舎の身内にあてた手紙、仲間内で自慢をしあった手紙など、重要書類からそうでないものまで、龍馬の人となりを研究する資料がたくさん残っているということです。そしてそこから研究された龍馬の人柄が当時からだれにでも愛される気配りの人、愛されキャラであったと言う事、そして平和主義だったということ。その点が小説にもなり、アニメにもなり、ドラマにもなり、日本全国に知られたからであるようです。後の時代に研究してもらいたいひと、懐かしがってもらいたいひとは、自筆ではがき、手紙を書きましょう。そしてその文章を誰が書いたかわかるようにサインも入れて書いておく必要があります。
 現在のこのパソコンの時代だからこそ、あえて自筆の手紙文書を残してみましょう。後の人に笑われないように書道を練習して。
平成28年5月21日
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