私が四国政経塾に入塾して約1ヵ月たった12月20日、今年最後の(しかし私個人にとっては初めての)偉人館巡りとして、『忠臣蔵』の四十七士で有名な兵庫県赤穂市を訪ねました。 忠臣蔵といえば、この時期には必ずと言っていいほどテレビなどでドラマ化され、今もなおその生き様、「君主への忠義心」というものが語り継がれております。
私もそんな年末のドラマなどで、粗方の内容を把握した程度でありますが、そのドラマ内での吉良上野介の憎々しい部分が、大変強烈に印象に残り、刃傷事件の際の浅野内匠頭に対する片落ちの裁定に憤りを感じ、大石内蔵助と四十七士が吉良邸へ討ち入り、吉良上野介を討ち取ったときには「よくぞやった!!」と単純に胸がスッとし、感動したのを覚えております。
今回、赤穂の大石神社や四十七士の墓碑が納められている花岳寺、そして資料館等を視察したのですが、その一つひとつを実際に見て回り、冷たい風を肌で感じるうちに、あえて12月のこの時期に「赤穂へ行こう」と仰った、塾頭の意図が改めて感じ取れました。
今まで私の中での『忠臣蔵』とくに大石内蔵助は、時代物のヒーロー的存在でしかなく現代に語り継がれている「一種の美談」でしかなかったのですが、赤穂義士が本懐を遂げる為に一年九ヶ月もかけ(ときにはスパイの目を欺くため、茶屋で遊び呆ける真似など)様々な手段を尽くし、周りから何を言われようが[君主の敵を討つ]ただそれだけのために『死』までも覚悟した、四十七士各々の心中を真剣に考えるようになりました。冷静に考えて現代の視点で見ると、その討ち入りという行為はとんでもない事ではあるのですが、ここで大切なのは君主だけに不当な裁きを下され、お家再興や吉良上野介の処分を嘆願しますが却下され、その理不尽さに対する抗議、そして[君主の無念を晴らしたい]という思い。その忠義心の根っこともなる『情』(この人の為に何かして上げたいという、心の底から沸き起こる衝動)これが大変重要であり、その『情』の部分を今の日本人(私も含めて)は忘れてしまっているのではないでしょうか。
大石内蔵助の息子、大石主税良金は討ち入りの時に弱冠十六歳・・・果たして十六歳の時の私は命を賭けてまで、君主に仕えることなどできたでしょうか?そんな十六歳の少年までもが持ち合せていた『忠義心・義理・人情』は、必ず同じ日本人である私たちの心の中にも具わっている筈なのです。今のこの暗く、不安な世の中だからこそ損得など関係のない、『為に尽くす』自己犠牲の精神が大切なのではないでしょうか。
今回の偉人館巡りは、四国政経塾の塾生としての今後の活動に対する心構えを強固にする意味深い、重要なものとなりました。
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