第 310 号 |
京都:偉人館巡り / 東寺『弓削島塩の献上』訪問 |
3月18日(日) ~ 19日(月) 1泊2日の京都訪問です。訪問の主の目的は、以前から参加している東寺「弓削島塩の献上」行事の参加です。18日は偉人館巡りとして・八木邸・三十三間堂を巡り、19日に東寺訪問致しました。当初は17・18日の予定でしたが、1日づれ月曜という事もあり塾生の参加が困難となり、私を含め3名の訪問となりました。 18日(日)、塾をAM 8:30 出発して八木邸に向かいました。 新鮮組 壬生屯所遺蹟、京都市指定有形文化財になっている八木邸、新選組が結成された家で、幕末の文久3年(1863年)春、14代将軍家茂上洛にあたりその警護の為に上洛した浪士隊は、洛西壬生村に宿所を求めたが、間もなく江戸に呼び戻される事になりました。しかし、その中13名は浪士隊から分かれて京に残り、文久3年3月16日八木家右門柱に、松平肥後守御領新選組という新しい表札を掲げ、新選組が誕生しました。この八木邸には何度か訪れていますが、案内の方が当時の出来事を説明してくれますが、案内人の話によると、奥座敷の間で刺客に襲われたが、就寝していた自室から攻撃の刀をくぐり、部屋に続く裏の廊下に出て、隣の六畳間に逃げ移りましたが、その時六畳間の戸口に置いてあった机につまずき、転倒したところを切り込まれ最期を遂げたと説明があり、話を聞いていると時、当時の乱闘をドラマのようにイメージしながら聞いていますが、正直2回前に話をされた方の話し方が当時の出来事を上手く表現して語ってくれて、解りやすかった印象が残っています…。 次に向かったのは、三十三間堂です。ここ三十三間堂も何度か訪れていて、記事で書かせてもらっていますが、三十三間堂では、本堂に足を踏み入れると、中央の巨像を中心に左右に各500体、合計1001体のご本尊が並んでいます、訪れるたびにその本尊の数に圧倒されますが、正しくは「十一面千手千眼観世音」といい、三十三間堂の像は檜材の「寄木造り」で、頭上の11の顔と40種の手に表現され、中央の巨像・中尊(国宝)は、大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の時の造像で鎌倉期(建長6年)の名作と評価される。等身立像の中124体はお堂創建時の平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて復興されたとあります。また、三十三間堂は正式には蓮華王院(国宝)といい、長寛2年(1164)鳥辺山麓(現・阿弥陀ヶ峯)の後白河上皇・印政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進した。約80年後に焼失したが、すぐに復興に着手し文永3年(1266)に再建され、その後室町・桃山・江戸・昭和と4度の大修理により700余年間保存されている。長いお堂は和洋の入母屋・本瓦葺きの「総檜造り」で約120メートル。正面の柱間が33あるところから「三十三間堂」と通称されたそうです。1001体のご本尊には、驚きました。時代の流れと共に、1001体のご本尊様に見守られていると思いながら今回も心の中で手を合わせながら拝観しました。 2日目19日(月)、この日は東寺「弓削島塩の献上」行事です。AM10:30にという事で、10時にホテルを出発東寺へ向かいました。この行事は2015年3月に初めて参加させて頂いてから、4度目の参加になります。塩の献上には、同行していた塾生の吉田さんは始めての参加になりますが、今回は、長者様は来られなかったのですが、東寺に着くと何時もの様に、山本さんが出迎えてくれて、砂原執事長さまの応接室に案内して下さいました。塩の献上は無事済ませる事が出来ましたが、山本さんと砂原執事長さまから沢山のお話がありました。前々回だったと思いますが、以前東寺に訪問した際に東寺境内に食堂があり、堂内には納経所がありました。食堂に入ると遍路用具も販売されていて、四国八十八ヶ所巡礼や洛陽三十三所観音霊場などの納経所となっています。また、毎月21日には、四国八十八ヶ所巡礼を再現した、お砂踏みも行われています。しかし京都東寺に四国八十八ヶ所巡礼…??? 何故…、と疑問があったので、今回教えて頂きました。四国八十八ヶ所巡礼は、まず東寺へ巡礼の挨拶をし、それから八十八ヶ所巡礼に回り最後に高野山で巡礼終了のお礼に行くのだと教えて下さいました。東寺のHPでも調べましたが、御詠歌に「身は高野、心は東寺に納めおく 大師の誓い新たなりけり」とあり、弘法大師空海は、高野山奥の院にご入定になりましたが、心は東寺にあると、うたっています。昔から四国八十八ヶ所巡礼は東寺で出発のご挨拶をして、奥の院で巡礼終了のお礼をする、と伝えられていると書かれてありました。また、遍路用品はすげ笠から地下足袋まで揃えますが、その中の金剛杖は、古来より道中の歩みを助けて下さり、御大師様の象徴として考えられてきましたと言いますが、その他にも意味があったことに驚きました。杖の頭には杖カバーが被せてありますが、杖には梵字が書いてあります。昔は、今のように道路も整備されておらず、巡礼道中は獣道で、巡礼途中で亡くなる方が多く、その亡骸を移動する手段もなく、その場所がその方のお墓となり金剛杖のカバーを外し、金剛杖を立て金剛杖が墓石の代わりになると教えて頂きました。 東寺では、2時間程の訪問でしたが沢山お話ができ、山本さん、そして砂原執事長さまにはお忙しい中貴重な時間を有難う御座いました。また、道中吉田さんには車の運転有難う御座いました。 |
平成30年3月19日 |
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