第 42 号

事の外に立つ

 9月25日、岡山県に偉人館巡りに行ってまいりました。私たち塾生が事前に聞かされたのは「岡山人間論ゼミ関係者の方と交流勉強会を行う。」という事だけで、岡山県の何処へ行き、そこで具体的に何をするのかを全く知らないまま、頭の中が真っ白な状態で、朝9時に四国政経塾を出発しました。

 高速道路の早島インターを降りた所で、岡山の森氏と赤澤氏のお二人と合流し、お二人の車が私達を先導する形で、早速最初の目的地へ移動です。車で走ること数十分、最初に到着したのは『犬養木堂記念館』という所。大変御恥ずかしいことに、私は【犬養木堂=犬養毅】と理解するのに少し時間が掛かり、駐車場から記念館までの道を歩きながら『木堂こみち』のその看板を見ながら「どこかのお寺へでも行くのだろうか?」と真剣に考えていたのですが、記念館に着き、それが内閣総理大臣を務めた、あの犬養毅だと分かり「犬養毅って岡山の人なんだ!!」と的外れなところで歓心をしてしまいましたが、記念館の資料を一つひとつ見ていくと、若い頃はジャーナリストであったと言う意外な事や、5.15事件の際、青年将校に拳銃で撃たれ、瀕死の重傷を負っているにもかかわらず「先程の青年をここへ呼び戻してくれ、話せばきっと分かるはずだ!!」と繰り返し叫んだ壮絶な事実を知り、正に自らの命が尽き様としているその間際まで「話すこと、議すること」を信条とした、その生き様に感銘を受けたのでした。

 記念館を後にし、次の目的地である高梁市へ向かいました。高梁市には、高梁市文化協会会長の石井氏を始めとして6名の方が出迎えて下さり、食事を取りながら、この高梁市の偉人である【山田方谷】についてのお話を聞かせて頂きました。山田方谷は、借財苦の備中松山藩の財政を僅かの時間で立て直し、貯蓄まで成し遂げた幕末の儒学者(陽明学者)であり、教育者として人材育成にも努めたそうです。私は自分の出身地柄、陽明学者と言えば【中江藤樹】が頭に浮かび、子供の頃には授業などで、中江藤樹の人物像などを習ったりしたのですが、陽明学の教えの一つに『知行合一』があります。「知っていながら行わないのは、まだ知らないと言うことに等しい、知は行いなしに成立しない。」といった意味らしいのですが、ある意味これは、四国政経塾の『行動』の部分に通じるのではと思い、改めてこの言葉を、自分に対する戒めとして噛み締めたのでした。

 その後、高梁市の石井氏と遠藤氏が市内を案内して下さり、最後に臥牛山の頂にあり、国の重要文化財に指定されている備中松山城を目指しました。「煙と○○は高い所へ・・・」というように、こと『登ること』に関して、私は子供の頃から妙に『ハマる』所があり、この日も皆様のペースを考えず、一人黙々とお城を目指して登ってしまったのでした。(皆様、スミマセンでした・・・)

 私は木堂記念館を後にして、高梁市へ向かっての移動中、川沿いに走る車中からの風景を、懐かしさを感じながら眺めていたのですが、城山の山頂から高梁市の町並みを見下ろした時に、その景色があまりにも吾が故郷に似ている事に大変驚き、それと同時に愛着を感じたのでした。

 半日ではありましたが、高梁市の皆様の、自分たちの町へ対する想い(愛着、誇り、etc.・・・)に触れ、そして、大変貴重なお話も聞くことが出来ました。私たち四国政経塾も地域活性化を目指しており、言わば同志です。
 山田方谷が『事の外に立つ』と唱え、将来を見据えた政策の必要性を説いたといいます。その教えを、町興し(町作り)に反映させ、(間に合わせ、取り敢えずといった)一時しのぎではなく、市民が主体となり『事の外に立った』町作りを、共に目指そうでは有りませんか!!

 最後になりましたが、森様、赤澤様、そして高梁市の皆様、心からの御持て成し、本当に有難う御座いました。
平成16年9月29日
目次へ