第 44 号

初めての偉人館巡り“岡山県”

 平成16年9月25日、岡山県に行ってきました。私が四国政経塾に通い始めて約2ヶ月、初めての偉人館巡りでした。私は内心ドキドキしながら集合場所の四国政経塾に向かいました。少し余裕を持って家を出たため、最初に集合場所に到着しました。そして、すぐ後に大和田塾頭が来られ、塾頭とともに塾の中に入りました。そこで、少し塾頭と話す機会ができました。塾頭から「四国政経塾に通い始めて何か変わったと思う所はあるか?」と聞かれました。私はとっさの事でもありましたが、安易な答えしか返せませんでした。そして「何か目標や夢は見つかったか?」と聞かれました。この質問にもちゃんと答える事ができませんでした。私は塾に通い始めて約2ヶ月、全然変われていない事に気づかされました。そして、出発時間になりました。道中の車内、私はその事ばかり考えていました。そうしている内に岡山県に到着しました。

 最初に向かったのが犬養毅のゆかりの地でした。到着してすぐ『木堂こみち』という文字が目に入りました。私は最初「木で作られたお堂でも見学するのかな?」と疑問に思っていると、まず犬養毅が眠る墓に着き、そこで『木堂』とは犬養毅のもう1つの名のだと気付いた。犬養木堂記念館には、犬養毅直筆の掛け軸や5.15事件の時の血のついた衣服、犬養毅の実際の声を録音したレコードなど多くの犬養毅の足跡となるものが展示していました。私にとって『犬養毅』とは学校で習った総理大臣のうちの一人というイメージしか無く「話せば分かる」という有名な言葉が犬養毅が生命の危機の時に残した言葉とは夢にも思わず驚きました。

  

 次に高梁市に向かいました。高梁市に着き、まず昼食をとりました。店の中に入ると数人の方が待たれていました。まず自己紹介をすることになり、一人、また一人と自己紹介をしていき、私の番になりました。しかし、初めて場で緊張していたせいなのか、自分の明確な目標が決まっていないせいなのか、どう自分を紹介したら良いのか分からなくなり、グダグダになってしまいました。そして『山田方谷』という名が出てきました。正直、私はまったく耳にしたことがなく「だれ?有名な人?」と疑問符が頭を回りました。いろいろと説明や資料を拝見し、当時の藩政に多大な影響を与えた人だということが分かりました。




 次に『頼久寺』というところに行きました。そこにはとても綺麗な庭園があり、日本的な美を初めて(?)真剣に見た気がしす。






 最後に備中松山城に行きました。最初に名前を知り、ここにも『松山城』があるのかと少しびっくり。そして、実際に行って山の上にあると知り、さらにびっくり。久々の山登り、運動不足の身体にはあの高さでも軽く堪えました。なんとか登りきると、そこには歴史を感じさせる備中松山城が建っていました。私は、地元愛媛の松山城ではなく、岡山の松山城で初入城を果たし、思い出の城となりました。


 今回、初めての偉人館巡りだったのですが、とくに心に残ったのが、高梁市の方々が持つ郷土愛というべきものでした。高梁市についてあれほどまでに熱く語り『山田方谷』を尊敬しているという思いがとても伝わりました。私は、愛媛県や西条市について改めて考えた時、地元のことを何にも知らないと気づきとても反省し見習わなければならないと感じました。また『犬養毅』『山田方谷』の偉人たちの事を知り、自分の政経塾生になった理由を改めて考えさせられる1日になりました。

 そして、岡山でお世話になった方々には貴重な経験、話をして頂いてとても感謝しています。ありがとうございました。
平成16年11月10日
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