第 54 号
東京研修

 3月1日から3日までの3日間、この時期が予算審議となっていることもあり、この時期に上京して勉強するのが良いとのことで、以前から希望しておりました東京研修が実現しました。小野晋也事務所秘書になって始めての上京で、期待と不安のなか高松空港を朝一番の飛行機で出発、迷うことなく無事に東京の議員会館に到着しました。先ずは何といっても国会議事堂の見学です。日本政治の中枢である国会議事堂の勇壮たる造りと内部の複雑さを目に焼き付けておきました。それから予算委員会を傍聴、この時は民主党の中井浩議員の質問でした。北朝鮮問題、市町村合併問題、郵政民営化問題などの議論が展開されており、テレビ中継でしか見たことの無かった光景が目の前で展開されていることに、感動を覚えました。但し、審議の内容は別として・・・。次は環境ビジネス議員連盟総会です。この会は当事務所が事務局になっているとのことで、少しばかり会場での手伝いをしながら、会合の内容に耳を傾けていますと、始めは何の会合かさっぱり分かりませんでしたが、京都議定書に基づく二酸化炭素の削減とそれに関係するビジネス研究を議論している会合でした。国会議員等の公用車5ナンバ−化や国産車の小型化、東京が自主エレルギー確保出来ないので、ホテル税を取る代わりにエネルギー税を課税したら!等、色々なアイデアの飛び出し、大変興味深い議論が展開されていました。日本のエネルギー資源の実態を見るとき、原発の必要性やエネルギー問題が少し理解出来た気がしました。とは言いながら「コンセントを抜く」まめな努力が必要だと庶民的な発想しか出来ませんでしたが。しかし、これまた国民的規模で実施すると結構効果が大のようです。経済産業省の説明では現在30兆規模が40兆ビジネスになるとも試算されており、ビジネスチャンスになるかも知れません。

 2日目は代議士と法務省による地元登記所移転問題についての会合に同席させていただきました。コンピュターシステム開発の問題点を指摘、利用者の立場に立っての事業進行を強く主張、ここで代議士が「法律に国民が従うのでなく、法律は国民のために変えるものである」と苦言をさすと、恐竜絶滅説(隕石説ではなく・・血管・神経系未発達説なるもの・・・この時初めて知る説)の話にたとえ、巨大化し絶滅した恐竜がまさに法務省ではないかと厳しい議論が展開、改めて代議士の知識の広さに驚かされると同時に国会議員の仕事を垣間見る瞬間でありました。その後は折角東京に来たのだから色んなところを見てきたら?!とのお言葉をいただき、福祉に興味と関心もあったので、日本NPOセンター・全国社会福祉協議会を訪問し、福祉現場サイドの国レベルでのお考えをお聞きしました。

 また今回、是非見学してみたかったところでもあった靖国神社の遊就館(日本の戦争の歴史館)に足を運びました。日本の戦争の歴史が時代を追って色々展示されており、最後にピタリと足が止まった所が、特攻隊や人間魚雷などで戦地へ向かった若い兵士達の遺書が展示されている場所でした。10代20代の当時の若者が、まさに今から決して戻ることの出来ない戦地へ向かうとき、こんなにも家族や親・兄弟・近隣の人を思いやり感謝し、そして国を思うことが出来ていたことに何とも言えない感動と悲しみを覚え目頭が熱くなりました。同時に今の日本の現状を考えると、自己中心的な考えが横行し、戦後の教育に大きな問題があるではないかと感じずにはいられませんでした。戦地に向かうことは即ち死を意味する状況のなかで、自分だったらこのような遺書を書けるだろうか?! こんなにも回りの人を好きになっているのだろうか? こんなにも国に誇りをもてるだろうか? 今の生き方に疑問を感じる瞬間でありました。


            

 最後の一日は憲政記念館や文部科学省内の見学です、代議士がかつて座った副大臣室や大臣室を見学させていただき、省内をご案内いただきました。清和会(森派・自民党最大派閥)の会合では今後の選挙体制は組織依存では勝てない、国民意識や時代の変化は確実に進行していることを痛感し、あっという間に3日間の研修は終わりましたが、刺激ある有意義な3日間でありました。

平成17年3月3日
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