第 55 号
日本の歴史を動かした郷

 桜の花も咲き揃った四月九日、偉人館巡りで高知県を訪問しました。今回は、高知市にある自由民権記念館と、安芸郡北川村の中岡慎太郎館を見学する予定です。
 当日の朝九時に塾を出発し、最初の目的地である自由民権記念館を目指します。この自由民権記念館は、高知市の市制百周年を記念して建設されたもので、自由民権運動を中心とした、土佐の近代に関する資料が展示されています。私自身、学生時代に日本史の授業で、明治維新や自由民権運動の事は習ったのですが、歴史の中の一つの出来事としてしか記憶になく、ここ自由民権記念館では、板垣退助を始めとする偉大な先人達が、新聞などのメディアを利用し民衆を味方に付け、次第に高まって行く運動の詳細な史実を知ることが出来ます。明治時代の混迷の中、日本は新しい国づくりに乗りだし、驚異的な速さで改革を実行しました。土佐から始まった自由民権運動(日本最初の民主主義運動)は、日本の歴史に大きな役割を果たしました。「改革が必要だ!!」と叫ばれながらも、古いシステムから抜け出せない(誰でも現状を変えることには抵抗感があるものです。)今の日本にとって、新たな変革を遂げる為の、示唆を得るには最適の場所ではないでしょうか。

 自由民権記念館を後にして、次に目指したのは、去年の一月に桂浜の坂本龍馬記念館を訪れて以来、ずっと気になっていた中岡慎太郎館です。常日頃、大和田塾頭から「近江屋事件で狙われたのは、龍馬ではなく慎太郎だ!!」と聞かされており、中岡慎太郎の名前こそ知ってはいますが、やはり龍馬に比べて脚光を浴びる事の少ない慎太郎の印象は薄く、初めてこの地を訪ねるに当たって、大和田塾頭にそう言わしめる理由を見つけようと、展示されている資料を読み進めて行くうちに、私は『中岡慎太郎暗殺説』が納得できる資料を見つけたのでした。
 まず、日本の歴史を動かしたとされる「薩長同盟」の発案は、実は中岡慎太郎であったと言う事。勿論、坂本龍馬の、豊かでリベラルな発想があってこそ同盟は締結されるのですが、薩長和解を実現させる為のアクションは慎太郎の方が断然早く起こしており、一日に百キロもの道程を歩く超人的な行動力で、西郷隆盛や長州藩の同士に、その必要性を説いて回ります。
 次に、新しい時代を切り開くには何が必要かを書き記した『時勢論』ですが、慎太郎はその中で「今から後、国を盛んにするのは薩摩と長州であり、天下は近日のうちにこの二藩の命に従うようになる。」と薩長政権を断言しており、その二年後に書いた『ひそかに示す知己の論』は、三十八年後の日露戦争や、七十五年後の日米開戦をも予言しているかの内容です。

 以上、中岡慎太郎は

 ・一度正義とすれば、決して譲らない剛毅な態度。(武闘派)
 ・それに伴った超人的な行動力。(一日に百キロもの道程を歩く健脚の人)
 ・日本を取巻く世界事情を見越した、驚異的な先見性。
  (時勢論、ひそかに示す知己の論)

 ・庄屋時代に村人に対し見せた献身の心。
  (飢饉の際、自家の土地を担保に米を借入れ、村人に施す)

                                          etc.

 「近江屋」での暗殺を指示した黒幕にとってみれば、確かに坂本龍馬も目障りだったでしょうが、知性と情を併せ持ち、超人的な行動力の武闘派である中岡慎太郎は、さぞかし恐怖の存在だったのではないでしょうか。

 大庄屋の息子として生まれ、神童の誉れ高い慎太郎が志士として東奔西走し、薩長同盟を成し遂げたのは、庄屋時代に役人に訴えた「国民が安心して暮らせる国」を実現したかったのだと思います。中岡慎太郎館の最後の方で、慎太郎が頬杖を付いて微笑む写真が目に留まりました。私は今まで、剃刀の様な鋭い視線の慎太郎しか見た事がなく、暗殺が横行する時代に、そんな『少年』の様に微笑む慎太郎を見て「この人は本当に心の底から日本を愛していたんだなぁ・・・」と感じたのでした。幕末から維新、そして近代に、熱い思いを胸に時代を駆け抜けた偉大な先人は、今の日本をどの様な思いで見ているのでしょうか?歴史を動かした郷(高知)を訪問し、私は一人の日本人として、先人たちの熱い思いに恥じることのない、自分でありたいと思いました。

平成17年4月9日
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