第 9 号 |
日中韓にあるもの 〜漢字〜 |
10月15日、小泉純一郎首相が来韓された。昨年11月、金大中大統領が訪日し森首相(当時)と熱海で会談を行って以来11ヶ月ぶりの会談となった。国会の事情等で7時間半の短い滞在となったが、国立顕忠園・西大門独立公園を訪問、今年の1月に新大久保駅で亡くなった韓国人留学生の遺族等と面会、金大統領、李総理と会談を行なった。
韓国国内の反応というと、来韓1週間ほど前から騒がしくなった。さんま漁業問題がさらに火をつけ、多くの国会議員は来韓阻止を表明、国会議長までもが個人として来韓に反対を表明した。ソウルの中心地チョンノの銀行の前では、日帝時代の残虐性を示す写真が掲げられ、国民感情を高ぶる動きが起こるなど、来韓阻止の動きが市内のあちこちで見られるようになった。そして、15日には、早朝から多くのデモ隊が小泉総理が訪問する場所周辺でデモ活動を行なった。日章旗が焼かれ小泉首相の火葬式までもが行なわれた。 独立公園を訪れた際、小泉首相は「植民地支配により韓国国民に大きな損害と苦痛を与えたことに心から反省し謝罪する」とコメントし首相自身の歴史認識を明らかにした。首脳会談では、歴史認識に関する共同研究機構の設置等について合意がなされた。 韓国マスコミはこの来韓の成果について辛口のコメントをしているのが目立った。「7時間半という短い時間で形式的な行事をこなしただけだ。」「韓国人留学生の遺族に会うというパフォーマンスを行なった。」等である。この中で、気になったのが「小泉首相の見解は、表面的で心からのものではない。」というものであった。またしても、この言葉が出てきたのかと思うほど日韓においては良く登場する言葉である。「心からのものではない…。」15日付けの文化日報は、歴代の日本国首相の過去史に対する発言を掲載しそれがどのように変化してきたかまで分析している。 では、彼らが言う真の謝罪とは何なのか?何を求めているのか?何をすれば彼らは納得するのか?また、考えさせられることとなった。 ここ数年、日韓関係を考える際の解決策として、共同の歴史教科書作成、もしくは副教材として共通の物を作ろうということがよく提案される。今回の首脳会談における歴史共同研究機構もその一連の流れによるものであろう。その意味でそれといって目新しいものでもなく、また、これかと思わされるものであった。実際、韓国人を納得させる上でこの合同研究なるものは容易なのであろうし、その場の怒りを和らげることが出来るのは確かでもあり効果的といえよう。 さて、この歴史認識を考える際、私は韓国と日本という2カ国間だけではなく、日本・中国・韓国という三カ国を同時に考える必要があると考える。この点、合同歴史教科書等に付いては、日中韓で行おうということで一応話が出来ており、その考え方自体には異論はない。 韓国に来て様々な人と話をし意見を伺うなかで気付いたことがある。それは、歴史認識についてうるさく言う人ほど日本をよく知らない人達であるということだ。日本に駐在・留学経験のある人ほどしっかりとこの問題を考えているのか冷静にこの歴史論争を見ているといえる(親日的な面があるのは否めないが、明らかに違うのは事実だ)。つまり、多くの国民があまり知らずにマスコミや社会運動の動きに乗せられ反日活動をしているケースが多いということだ。その意味で、この誤解偏見をなくさない限り仮にいくら教科書を作ったとしても意味がないといえるのではないか。 ところで、教科書というのは、その国の国民をどう育成していくかという大きなそして必要性の高い重要なものである。そして、その国々にとって歴史観・未来観・人間観というのは違うはずであり、それを改めることは国を左右する大きな問題であるといえる。したがって、合同歴史教科書については私は懐疑的な立場である。というのも、結局お互いが納得する点で妥協するという中途半端なものが出来あがる恐れが十分にあり、むしろ3国の将来に大きな汚点を残すものと考えるからである。つまり、共同歴史教科書研究は失うものが大きいと考える。では、教科書に変わる解決策はあるのであろうか? 突拍子もないように聞こえるかもしれないが、私は、漢字研究を行うことが3カ国の歴史認識を変える大きな契機になると考えている。日本の戦略として漢字共同研究に力を注ぐことを求めたい。私的には、中国語公用論まで進めるべきであるとも考えている。21世紀は、中国が大きな中心的役割を果たすに違いない。経済的にも大きな発展を遂げ、政治面でも大きな役割(現在、朝鮮半島における中心的役割を果たしている)を担っておりますます大きくなることが予想される。経済的な意味で12億人という人口も見逃せない。この中国が世界的にも大きな力を持ち影響力を持つようになれば必然と中国語の必要性が騒がれてくる。米国のある教授は、中国語の重要性を示唆し、学生に中国語の学習を進めているという(韓国人留学生談)。国連の公用語でもある中国語、漢字を使用するため日本人には馴染みやすく、経済的に考えてもその必要性が高まり利用価値も増すであろう。 しかし、中国語公用論は行き過ぎだとの批判もあろう。実際、さらに中国語を公用化するというのはすぐには無理であろう。そこで、その前段階として、自国に存在する漢字を相互に研究、つまり、漢字教育の必要性を強調すべきであると考える。日本では段々活字離れ、漢字離れが起こってきている。漢字離れ先進国!?のここ韓国では、ハングルが至る所に溢れ漢字を見ることはほとんどない。日本語を勉強している学生の中でさえも自分の家の住所を漢字で書けない学生もいるほどだ。聞いた話だと、ソウル大学生(理系)の6割が「大韓民国」と漢字で書けないという。これほどまでに漢字離れが進んでいるのだ。 この漢字離れは、実は戦後の反日政策が大きく影響しているのだ。漢字=日本というイメージがその当時の韓国にはあり、また、日本的なものから脱皮したいという民族性・自尊心のためか漢字教育を廃止した経緯がある。近年、僅かながら学習しているが、入試に影響がないということもありそれほど熱心ではないようだ。ある新聞のは漢字を使わない新聞社もあるなど漢字離れが深刻である。しかし、それほど韓国では深刻とは捕らえてはいない。というのも、今のところ漢字がわからなくても何の問題もないからである。しかし、後述のように漢字によるコミュニケーションの可能性を考える私にとって韓国のこの状況は深刻といえる。 漢字学習のメリットとして、日中韓の国民同士が筆談ではあるがある程度会話が出来るということがあげられる。常々、私は、相手国との友好関係を考える上で、特にアジアにおいては両国間における無知・無関心による誤解偏見が大きな原因であることを述べてきた。話が出来、議論を行うことが出来れば、相手のことを知り、考えることも出来るであろうが、この三カ国ではそれを行うこと自体が難しい状況である。それを行うためには筆談ではあっても大きな効果を産むはずである。 話が逸れるが、この夏訪朝した際、ある中国人と出会うことがあった。彼は、仕事のためピョンヤンに来ていた。朝鮮語が出来ない彼とは筆談を利用し、話をした。そして、彼がなぜここにいるのか。彼が考える日本、アジアについて幾分ではあったが話が出来たのは私にとっては大きな財産となった。また、これにより中国の興味関心がさらに深まったのも事実だ。単純ではあるかもしれないが漢字という手段によって会話が出来それによってイメージが変わるという事もあるということである。私はここに可能性を見出したいのだ。 歴史認識の問題は、国民レベルでの動き(世論)が大きく影響している。その意味で多くの国民が接し話をすることで誤解偏見をなくすことが歴史問題を解決する最善の方法であると考えている。その意味で、共通の言葉があればよいといえる。英語という意見もあるが、韓国人を除けば日本人・中国人は苦手であり、発音がそれぞれ独特に変化しておりコミュニケーション上問題がある。それよりなにより、自国の漢字という共通項があるのを活用しないのはもったいない限りだ。中国・韓国そして日本の漢字はそれぞれ簡略化されたものや、逆にそのままのかたちで残っているものなどもあるが、7割はその漢字の形を見て理解できる程度の変化、もしくは同じ自体である。その意味で、漢字による会話は十分に可能である。そう考えれば、漢字教育共同研究の意味は大きいのではないか。 韓国は、歴史を見そして、将来を考えるという意味で漢字教育の強化をすべきであろう。また、日本は活字離れが叫ばれゆとり教育が促進される中、漢字の重要性を再認識し、教育していく必要があると考える。 この三カ国間での漢字教育強化によって旅先での会話を楽しみ、それから相手を理解し、相手国を認識し、誤解偏見が減少、なくなり、そして、交流が進んでいく過程ではじめて歴史を振り返ることが出来るのではないか。今の状況では決して歴史を振り返ることは出来ないのだ。 「漢字を通じてアジアが変わる。歴史が変わる。」私はそう考えている。歴史認識における解決策はこれしかないのである。 |
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