韓国「機会の学塾」の皆さんとの意見交換会
 11月17日〜19日の3日間、韓国釜山市に拠点を置く「機会の学塾」よりユウ塾長初め16名の塾生が四国中央市へ来日されました。「機会の学塾」と「四国政経塾」は10年前より互いに民間交流を行っています。今回は5年ぶりの久しぶりの来日であるとのことでした。「機会の学塾」とは人を助けることを研究する集いであり、自己中心的思考から共同体的概念へと転換できるよう啓蒙・教育・奉仕することを目的としたボランティア団体であり、以前より「四国政経塾」と目的を共にし、民間レベルでの友好関係を結び相互に交流を深めています。

 17日の午後7時より四国中央市にある四国政経塾事務所において開催された意見交換会に参加させて頂きました。四国政経塾・塾頭より「現代の若者の生き方について」テーマが投げかけられ、最近のニートやフリーターの増加や、子どもが子どもを傷つける事件・親が子どもを子どもが親を殺す事件など、現代の日本社会の歪んだ現象が、家庭教育に問題があるのではないかとの問題提起がなされ、両国塾生相互の意見交換が始まりました。日本では「親が子どもにどう怒っていいのかわからない若い親が増えている」ことや、韓国では「親の姿を見せることで子どもは自然と理解するのでは」との意見など、また自身の教育事例などからの意見も多く出されました。日本でも子どもの教育は「子は親の背中を見て育つ」といわれた時代もありましたが、実は現代でも子どもは親の背中を見ているのだと思います。その結果が現代の子ども達の現状ではないでしょうか?!
 以前こんな話を聞いたことがあります。学校給食の時に子どもに手を合わせて「いただきます」と言わせるのは、給食費を払っているのにおかしいという親がいると言うのです。そもそも「いただきます」とは食べ物に感謝し、また作物を作ってくれた人や調理してくれた人に感謝する意味であるのに、その意味すら理解出来ない親が実在するのです。親の世代が既に歪んでしまっているのだと思いました。子どもは親の写し鏡なのだと思います。親の人間としての再教育が必要ではないでしょうか。社会全体を見ても「成績さえ良ければ良い、自分さえよければ良い、利益さえ上がれば良い、人のことより先ずは自分のこと」と云う風潮が蔓延しているような気がします。確かに自分という存在は大切です。しかし、人は一人では生きることが出来ないという事を、もっとしっかり自覚しなくてはいけないと思います。人に対して思いやり持つ、人のために少しでも役に立ちたいと思えるような社会の構築が必要です。四国政経塾の活動理念は「地域から日本を変える」であります。地域を変えるにはまず自分自身、そして家庭・地域へと広がっていくものであります。家庭教育を考えるうえでも先ず必要なのは、自分自身がどう考えどう行動するかだと思います。その為には、いろんな人の意見を聞いて、いろんな方と議論し合うことが必要です。それはどんな場面・どんな形式でも良いと思います。先ずは意識して自分自身の自己研鑽をすることが大切なのだと思います。そういう意味でも今回の「機会の学塾」の皆さんと意見交換を持てたことは、私自身にとっても大変有意義なものでありました。国も言葉も文化も違いますが、互いに人間として認め合い、歩み寄ることが大切であると改めて強く感じさせられました。結局この意見交換の限られた時間の中では、結論など出るはずもありません。そもそも十人十色と言いますが、人はそれぞれ違います。全く同じ結論などないのです。悩み、苦しみながらも、その先にある、小さな幸せを見据えながら生きているのではないでしょうか。大切なのは、一人で考えず多くの意見を吸収し前に一歩踏み出すとこだと思います。立ち止まってはいけません。とにかく一歩一歩踏み出す努力が必要だと思います。

 この度、機会の学塾の皆さんにお会いできたことを大変誇りに思います。
 またお会いできる日を楽しみにしております。
平成17年11月19日
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