≪出会い≫ 姉妹塾=機会の学塾10周年を迎えて思うこと・・・ |
四国政経塾の姉妹塾でもある韓国釜山市「機会の学塾」が、今年10周年を迎える事となりました。 政経塾の塾頭でもある大和田塾頭が劉塾主と出会ってから今があります。私は、四国政経塾の塾生でもあり又スタッフでもありますが劉塾主との出会いは、機会の学塾が設立する前にさかのぼります。 二人が出会ったきっかけは、当時京都に「京都政経塾」があり、京都政経塾におられた甲斐さん(甲斐さんにはしばらく会ってないが、元気でしょうか?)から劉塾主を紹介された事から始まります。政経塾の塾報No1号に劉塾主が大和田塾頭と出会った事を書いてありますが、はじめて大和田塾頭と出会った時、当時京都に滞在していた劉塾主は、京都の人々の冷たさにうんざりしていた時に大和田塾頭と出会い、大和田塾頭は日本人だという感じが全然感じられなく、劉塾主に対し正直で素朴で誠実な姿勢で劉塾主に近付いたそうです、又その時感じたのが何の飾りもない大和田塾頭の態度に何か熱いものを感じたそうです。大和田塾頭も劉塾主との出会いから、当時の事務所にはパソコンという物などなかったので、電話・ファックス・手紙などと、大和田塾頭の熱い思いが劉塾主に送られていました、そんな二人のやり取りから劉塾主が会長をされていた「木曜学術会」(釜山市の権威のある団体)から、松下政経塾や四国政経塾について強く関心をもっており、是非釜山に来て話をしてくれないかとの熱心なお誘いを受け、釜山へと旅立ちました。そうして木曜学術と交流をしている中、木曜学術会と四国政経塾で、小学生国際交流をする事となり、小学生12名をホームステイさせる為釜山市を訪問、またこちらからホームステイした年の翌年には韓国から日本へと、日韓子供の交流がありました、後に政経塾と木曜学術会が交流している時に、劉塾主が韓国にも政経塾のような塾を設立したいと相談があり、大和田塾頭が何度も釜山へ足を運び、現在の「機会の学塾」が設立され10年が経ちました。 私がはじめて劉塾主と出会った時は、劉塾主が木曜学術会の会長をされていた時に出会いました。私事ではありますが一時塾を離れる事となって一度塾から離れていました、自分が塾を離れると同時に「機会の学塾」が誕生したのですが、当時の政経塾は、今の学塾との交流のように勉強会などという事もなく、また、今は週一度水曜日に勉強会をしていますが、当時はそういった勉強会などという事もしていませんでした、当時の政経塾としては、日韓国際交流や「地域から日本を変える」というテーマを持ち、講師を迎え四国4県で大会などを開いたり、地域活性化・教育・福祉問題などといった講演会などを開いたりという活動が主でした。一度塾を離れていましたが、再び戻ってきた時には、塾の流れが変わっており、週1の勉強会や機会の学塾への勉強会といった活動がなされていて、離れていたとはいえ戻ってきた私には、驚き・びっくり・戸惑い・・・と、以前自分が関わ っていた行事であった、四国4県で開いていた大会は何故しなくなったのと大和田塾頭に尋ねましたが、講師を呼び、大勢人を集め講演会をしたところで地域が変わる事はないと話してくれた事を思い出します。今はその意味がよく解りますが、その時は理解できませんでした。その訳は、政経塾・学塾の勉強会など参加している中で教わった事から学びました。地域を変えようと漠然と思い・考え・行動していても地域が変わるわけがありません、地域を変えるには先ず自分が変わらないと何もはじまらないという事、日本を変えるには地域から、地域を変えるには、自分の周り、自分の周りを変えるには、先ず自分が変わらないといけないという事、人を変えることは難しくまたできない事、人を変えるには先ず自分が変わり、変わった自分が周りに伝わり、自分が変わることによって周りが変わっていくという事を教わりました。私がこうして学んだことを記事に残そうとしている事も自分自身驚きですが、塾の勉強会の中で色んな事を学ぶ事がありますが、機会の学塾での勉強会の時に大和田塾頭が講義した内容にもありましたが、この記事の題名でもある≪出会い≫、出会いが大切でそれを育てていく事の大切さ、その大切な≪出会い≫についてです・・・。 今の両塾の関係が続いているのも大和田塾頭と劉塾主の出会いがあり、二人がその出会いを育ててきたからこそ今があります。自分にとっての出会いという意味の人と出会う喜び、出会うという事の感謝、そして出会いという意味のおもさ、私が大和田塾頭と出会わなければ今の自分はありません、また大和田塾頭と出会っていなければ一度塾を離れたなら、また塾に訪れる事もなかったでしょう。大和田塾頭と出会えたから劉塾主と出会いがあり、二人と出会うことで、学塾との出会いもありました。自分が気に入っている物で手に入れても、形ある物は無くなってしまう、街角で目に入った物で、例えばそれがコップだとしたら、どんなに大事に使っていても、やがてヒビが入ったり、割れたりと壊れいずれは無くなってしまう、自分自身に起きた出来事ですが、以前機会の学塾が設立する前の木曜学塾会の時に、自分が関わ った大きな行事です、子供の国際交流の時にその当時の出来事を残そうとビデオを撮っていました、自分が塾を離れた時、そんなビデオを観ていると、自分がこんな事もしてたんだ、と思い起こす事ができ又、感動もありました、自分の大切な宝物の思い出をある人に失なわれました、ですが、私の中にはビデオを失ってしまっても、交流の中で出会った子供たちの思い出は私の心の中・記憶の中に残っています、物は二つと同じ物はありません、壊れて無くなったコップならまた同じ物を買えば手に入るが、形は同じでも一つ目使っていた物とは違います、よく似た内容のビデオでもその中の子供たちは自分の出会った子供たちではない、人と出会った事は物として残らず、そして離れていったとしても、人との出会い・思い出は出会った相手の心、自分の心に残ります。人はそれぞれにいろんな出会いがあるが、その出会いを言葉で簡単に現し表現するのではなく、人との出会いを大切にし、喜び、出会えた事に感謝し、≪出会い≫とう3文字の言葉には、出会うというおもみがある事を大和田塾頭と劉塾主を観ていて教わった大切なことです。二人と出会い、また出会ったことで、学塾との出会いがあり、いずれ二人が塾を去らなければならない時代が訪れた時、両塾が二人の出会いに感謝する心を持ち続け、私たちの世代、そして次の世代へと大切な出会いを育てていこうと思っています。二人の出会った事を二人の行動で、出会いという大切さを伝えてくれた事に感謝しています。私は人に与える言葉・知識など持 っておらず、また人に話す力も備わっていません、ですがこれから先、自分にできる事、また自分にしかできない事を考えながら、大和田塾頭と劉塾主の二人が出会い、育て築きあげた両塾の関係を保ち続けたいと思っています。こんな形でしか感謝を表す事ができませんが、私が、大和田塾頭、劉塾主、そして学塾の方々、政経塾の方々と出会えた事、又二人から出会いという宝物を与えてくれた事に心から感謝しています。 機会の学塾10周年を心から嬉しく思い、13年(二人が出会って)かけて、お互いの塾の繁栄を願い、全力で駆け抜けた大和田塾頭と劉塾主に感謝致しますと共に尊敬します。今後は私たちお互いの塾生が二人の精神を継承し続け頑張りたいと思います。 |
平成19年8月6日 |
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