姉妹塾=機会の学塾 10周年記念式典に参加して・・・ |
平成19年10月5日〜7日に掛けて、韓国・機会の学塾へ訪問しました。今回の学塾への訪問は、機会の学塾が10周年を迎え、10周年記念式典に参加させて頂くことになり、お祝いの言葉を贈るための訪問でした。 10周年記念式典の式の進行状況については他の塾生の方が書いていると思いますのでそちらを参考にして頂きたいと思います。 私は、学塾が10周年を迎えるという事で、事前に8月頃「機会の学塾10周年を迎えて思うこと・・・≪出会い≫」という、記事を書かせて頂きました。というのも、その記事にも書いてありますが、私が劉判洙塾主に出会ったのは、機会の学塾が設立される前「木曜学術会」の会長をされていた頃に劉判洙塾主と出会いました。今までの長い年月の中、色々な事があり、機会の学塾が10周年を迎える事で、知らず知らずのうちに記事を書いていました。10周年を迎える事で思うことは、記事に書いてありますが、実際に10周年記念式典に参加して、さらに劉判洙塾主と大和田塾頭の偉大さを感じました。 劉判洙塾主と大和田塾頭から私は≪出会い≫と言う大切な事を教わりましたが、10年という年月を考えてみると、10年・・・と聞いた時、とても長く・なが〜い、時間・遠い昔のように感じます、ですが実際に10年を迎えるとあっという間の時間だという事、長い日々でも振り返 った時、長い年月があっという間に過ぎている、その1日、1日の時間を大切に過ごしていくか 、いかに時間というものが大事であるかという事を、改めて今回の10周年記念式典で感じ、時間という大切な事も学びました。 四国政経塾の基本理念「地域から日本を変える」日本を変えるには地域から、地域を変えるには自分の周り、自分の周りを変えるには自分からと学んでいますが、まず自分が変わること、自分が変わることによって自分の周りが変わり、周りが変わることにより、地域・そして国が、より良い方向に向っている事、自分の5年・10年・・・30年先を迎えた時、私の過ごしてきた時間は一体何だったんだろうという日 々にならないように・・・、私は人に与える言葉・知識など持っておらず、また人に話す力も備わっていません。ですがこれから先、自分にできる事、またほんの小さな些細な事でもいい、自分にしかできない事を考えながら、今日という日の時間を大事に刻んで活きたいと思いす。 劉判洙塾主と大和田塾頭の二人が出会い・育て・築きあげた両塾の関係を保ち続け、二人の時代から、私達の世代、そして次の世代へと大切な出会いと思い出の時を刻んでいこうと思っています。 2日目の日程は、・身障人福祉センターへの訪問・中学柔道部への訪問と、2班に分かれる事になっていて、何故2班に分かれなければならなかったのかは、訪問先の時間が同じ時間帯になってしまったからです。身障人福祉センターへの訪問は、劉判洙塾主が、身障人福祉センターの方で会議があるという事で、会議をしている間、障害センターの見学を・ ・・と、時間をつくって下さいました。中学柔道部への訪問では、同行していた山本市議が韓国に出発する前に、韓国と柔道交流が出来ないか?と相談があり、劉判洙塾主に釜山市にも日本のように柔道愛好会というような団体がないですかと、あれば是非訪問させて頂きたい事をお願いしていました。中学校への訪問先では、実際には、日本でいう柔道愛好会というような団体ではなく、中学校の柔道部への訪問だったそうです。 私は、障害人福祉センターの方に訪問させて頂きました。センターへの訪問先では、障害人福祉センターのパンフレットを用意していてくれて、パンフレットは日本語に訳していてとても解りやすかったです。施設内を案内していただきましたが、私は、日本の身障者施設を訪問した事がないので、日本に在って韓国に足りない物、また韓国に在って日本に足りない物が、どうゆう物か解りませんでしたが、施設内における身障者への配慮・教室・リハビリセンター室の設備・器具等が、日本の施設内もこのようになっているのかなと・・・?日本に帰った後時間をつくり訪問してみたいと思います。只一つ感じた事があります、日本では土・日・祝日関係なく施設に休みがありませんが、訪問した施設は土日が休みでした。本当に障害者の視線に立って運営しているのか疑問に感じました。 障害人福祉センターを訪問後、学校へ訪問していたメンバーと合流し昼食でしたが、時間があるので市役所へ案内してくれました。市役所へは中に入れたものの土曜でしたから休みで役所内はシャッターが閉まっており見学する事が出来ませんでしたが、市役所へ入ると警備委員の方がいて、その奥に広々と広がるフロアーがありそこに釜山市全域の模型が設置されていました、その模型を見ながら、ここが今訪問している役所だとか 、私が以前1週間お世話になった劉判洙塾主の依然住んでいたマンションがこの辺りだとか言っているうちに時間が過ぎ、市役所を出て昼食をご馳走になりました。今回も、今までとは違いバイキング方式の食事をいただきましたが、バイキングでも前回と少し違った食事でした。バイキングの他に海鮮しゃぶしゃぶ鍋もいただきました。 昼からは予定が開いていたので、昼からの予定はどうしますか?と相談があり、国際市場へ行きたい塾生がいて国際市場へ行く者と・・・、大和田塾頭は疲れていてホテルへ帰りたいと言い 、昼からも国際市場班とホテルへ帰る班と二手に分かれる事になりました。私は2手に分かれる事に嫌な予感はしていましたが、その予感が的中、今回の学塾への訪問は6名参加していましたが、塾頭以外皆国際市場へ行きたいと言い、私は一人ホテルへ帰る塾頭がなぜか寂しげに感じ、皆が国際市場に行き1人塾頭をホテルへ帰す事も駄目かなと・・・、私は何度も韓国へ来ていて国際市場も1度や2度ではないからここは我慢し、私もホテルへ帰る事にしました。ですが結果的には、ホテルへ帰る選択をして良かったです。というのは何時も訪問中、通訳をしてくださっている美香さん(学塾卒塾生)と、ゆっくり話をする事が出来たからです。何時も勉強会が終わると時間も晩くてゆっくり話をする事もありませんでした。 ホテルへ戻ったら、塾頭が一度部屋へ上がるけどすぐ降りてくるので、ロビーの隣にあるカフェで待っていてと、部屋へ上がって行きました。美香さんとほんの少しの時間でしたが二人で話をしました、美香さんには、高校生と中学生のお子さんがいます。お子さんの話を聞きましたが、上の高校生の娘さんは一年生ですが、日本と韓国の高校生の違いに驚きました、韓国は学歴社会の国だと聞いて、子供さんに対し勉学にはものすごく力を入れていることは知っていましたが、実際に美香さんの話を聞くと驚きました。学校へ行くと通常の授業を終えた後も学校へ残り自由学習のようなものがあり 、夜の9時頃まで学校で勉強をしているそうです。学校から家に帰るとその後に塾へ行き、家に帰るのは何時も夜中になるそうです。家にいる時間は寝る時間だけのようで、話を聞いた時、家庭での時間や親と子供のコミュニケーションなど取る時間はないでしょう・・・、私は、学校で学ぶ勉学は必要な事だとは解っています、ですが家庭で親との時間も大事な時間だと思います。私は、失礼かと思いましたが思わず聞いてしまいました、子供さんとの時間は何時取るのですか ・・・と、美香さんも今のままでは駄目だと、今自分の子供は、家に居る時間が寝るだけの時間だということは間違っていると、今の状態が親として間違いだと思うから学校へは話をしているそうです。学問に励む事がけして間違っているとは思っていません、ですが子は成長し大人になり親になる、日本では子は親を見て育つといいます、親を見ていない子供が、親になった時、子供の育て方が解らないと言う親や、親が子を愛おしいと思わない親が増えるのもおかしくありません。学問の時間も大事ですが、親と過ごす時間も子供にとって学問と同じではないかと思います。そんな話をしていると、大和田塾頭が降りてきました、塾頭との3人の話は、やはり両塾の話しになりました、内容は今後両塾がこのまま維持していくにはどうしたら良いものかと・・・、塾頭からは言われていた事ですが、ただ学塾へ勉強会に参加するためだけではなく、日本に帰ってからも学塾の塾生さんやスタッフの方と手紙やメールなどやり取りしながら、より深い関係を持ちなさいと言われています、現在の両塾の関係があるのも、塾頭は劉判洙塾主と互いに連絡を取り合い、機会の学塾と四国政経塾が姉妹提携を結び、現在の両塾の関係にあるのだと、私は学塾が設立する以前から二人を側で見てきたので、塾頭の言いたい事は解ります、ですが美香さんの前でしたが自分の思うことを塾頭に話しました、劉判洙塾主は日本語が話せ、日本語も読めます、美香さんも同じで話す事が出来、読むことも出来る、ですが両塾の塾生は話せず、読めない 、塾頭の言うように積極的に話そうとし交流を深めようとしても言葉が続かずに話が出来ない、現実に手紙を書いても日本語がわからないためか返事が来ない、塾頭の言うように塾生同士が個 々に交流を深めるというのは難しいと話しました、私が以前から感じていた事で、通訳を通してでもいいから学塾の勉強会に参加する、通訳を通してですが他の塾生と交流を持つのも一つの方法ではないか・・・? ですが話が通じない、手紙を出しても帰って来ないからと言って諦めている訳でもありません、今では、塾頭と劉判洙塾主が築き上げてきた両塾の関係を維持する為にも、週一回・1時間半の勉強ですが韓国語の勉強をしています。韓国語を聞いて何を話しているのか解り、また話せるようになるのにどの位の時間が必要になるのか検討も付きません、ですが努力しても能力的に無理な事もありますが、努力する事は大切だと思います。 また政経塾が学塾へ勉強会に行っていますが、殆ど何時も同じメンバーで参加しています、というのも塾生は会社に勤め仕事をしている、普段の日に休みを取り韓国へ行く事ができません、ですから何時も参加するのはスタッフだけになってしまいます。 政経塾が何時も学塾の勉強会に参加するだけではなくて、例えば、今回はこちらから参加したので次回は学塾の方々が政経塾の方に来るというように、学塾の方々もこちらへ来てくだされば 、学塾へ行けない他の政経塾・塾生も学塾の方々と交流を持つ事ができる。今入塾されている塾生さんが全員来て下さいと言うのも無理だと思います、機会の学塾は政経塾と違い、入塾があり卒塾があります、ですから学塾生さんそして卒塾生のうち少人数(例えば2〜3人からでも)でもいいですから、学塾生同士話し合い交代でこちらへ来てくれれば、多人数よりも少人数の方が話しの時間も取れより深い交流が出来るのではないか・・・?と、提案しました。美香さんからは、学塾の方に話をして検討してくださると言ってくれました。話をしていると夕刻になっていてあっという間に時間が過ぎ、美香さんは主婦ですから帰らなければならない時刻になってしまい、美香さんとのお別れの時間となりましたが、美香さんが話しませんかと、声を掛けてくれなかったらこのような話はなかったでしょう、美香さんと話せる時間が取れた事は自分にとって、また塾にとって大切な時間だったと思います、有難う御座いました。 夕方6時頃に劉判洙塾主、学塾の方々がホテルまで迎えに来てくれて、食事に連れて行ってくれました。2日目の夜の食事は、韓国ならではの焼肉カルビです、やっぱり韓国に来たらカルビ ・冷麺(ビビン麺)を食べて帰らないと・・・と、思うのは私だけでしょうか?食事をそこそこ終えた後、機会の学塾が10周年を迎えたことを祝、また今後の両塾の繁栄を祝、劉判洙塾主と大和田塾頭が固く握手を交わし、また学塾理事ソンさんと石川さんが固く握手を交わし、8時頃ホテルへ戻りました。ホテルへ帰った時刻が何時もより早い時間でしたので、スタッフだけで反省会をしました。 反省会の内容は、美香さんと話をした内容でしたが色々と話をしていると、政経塾が学塾へ勉強会に行っていますが、実際に今の塾生の方々が、勉強会に参加する政経塾の事をどのように考えているのか・・・?といったような意見もあり、学塾の幹部の方と政経塾のスタッフと、話し合いが必要ではないか、今後の両塾の為にも次回、是非話し合いの時間を付くっていただく事を塾頭にお願いをしました。 私は両塾が今後の姉妹塾と考えた時、両塾共同で活動していくかと言った話し合いも必要かと思います、話し合いも必要な事ですが、ただお互いが、韓国・日本というお互いの国の事だけしか知らずに、その地域の事を知らない、また国が違えば、見かたも・考え方も違う、そういった中で何かをしようとしても、その何かが具体的に形として見えてこないのではないでしょうか・・・?自分の言いたい事が旨く表現できませんが、両塾生同士がお互い国と国を行き来し、互いがもっと良く話し・互いに学び・遊び・ふれあう機会が増えれば、お互いの国・地域・人の事が理解でき、私たちが韓国へ行った時、又学塾の方々が日本へ来られた時、両塾共同でできる事が具体的に形として見えてくるのではないかと思います。 最後になりましたが、機会の学塾が10周年を迎えられた事を心より御祝い申し上げます。また劉判洙塾主・大和田塾頭二人が築き上げた時間を無駄にしない為にも、お互いの塾生が二人の精神を継承し続けたいと思います。 滞在中、空港への送り迎えや訪問先への移動等、劉判洙塾主はじめ学塾の方々には、大変お世話になりました。今後もお世話になるかと思いますが、その時には宜しくお願いします。有難う御座いました。 |
平成19年10月7日 |
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