韓国 機会の学塾来日
香川県 直島町・徳島県 鳴門市にて交流
 今回、学塾の皆さんが来日する事になったのは、前回5月に私たち四国政経塾が韓国に訪問した時、学塾 劉判洙塾主の自宅に宿泊した時に、劉判洙塾主から、是非、香川県の直島町に訪問したいと希望があり、今回の来日予定が決りました。

 来日が6月9日〜12日3泊4日の予定に決まり、香川県・直島町1泊、徳島県・鳴門市1泊をする事となり、私はネットで直島町見学・鳴門市見学、宿泊先の予約などを調べていると、自分は四国に生まれ育っていながら直島町には行った事がなく、どんな所か全く知らない、直島は見学するにはとても素晴らしい島だとネットでは分かりましたが、直島までの移動時間、そして宿泊する事と食事に問題があり学塾の皆さんを案内するのに、事前に自分が直島を視察しておかなければならないと思い、直島へ視察に行きました。直島は1日ぐらいで見て回れる小さな島ですが、島全体が美術館的な感じで問題はないのですが、宿泊先に問題がありました。小さな島ですので、ビジネスホテルなどはなく、近代的なホテルがあったものの宿泊するには高額で、あとは民宿ばかりでした。「あ、この民宿なら良いなあ」と思う宿があっても、夕食は外食して下さいという民宿が多く、ネットで調べていても宿泊先の周りに夕食をする店があるかどうか・・・?ネットでは充分な情報が得られなかった、食事と宿泊それが大きな問題でした。軽食喫茶やカフ
ェなどは何軒かありますが、外国からの来客を接待するのに、軽食喫茶で夕食とも考えたのですがそれもどうかと・・・。島を探索していると宿がなかなか決まらず、私が一応ネットで調べていて夕食付の宿でしたのでそこへ向かってみました。その宿は海岸に建てられていて、環境がよく景色も抜群、ここなら学塾の皆さんに喜んでいただけると、「ふるさと海の家・つつじ荘」に宿泊予約をしました。(後で考えても、やはり視察に行っていて良かったと思いました。)

 9日、この日は以前から政経塾で韓国講座を行っており、来日日がちょうど火曜という事もあって、講座に参加している皆さんと意見交換の時間を入れていました。
 学塾 劉判洙塾主、20期生 パク・ジョンホさん、ソン・ボンギさん3名の方々が、松山空港16:30着便で松山へ到着の為、松山に迎えに行き、喜びの再開と挨拶を交わし四国中央市へ。到着が夕刻でしたので、先に宿泊先へチェックインをし、その後夕食を済ませました。 夕食の後塾へ向かい、講座の皆さんと意見交換が始まりました。それぞれ習った韓国語で自己紹介を行い2時間程韓国語について劉塾主に指導して頂きました。劉塾主から韓国語を覚えるには、一日5〜10個の単語を覚えなさいとアドバイスをしてくれました。今後韓国語の勉強に取り入れ頑張りましょう。

 10日直島町に向かう為、9時にホテルを出発⇒岡山・宇野港⇒直島へ、直島に到着したのは11時過ぎで少し早かったのですが港で昼食を済ませ、地中美術館へ向かいました。
 地中美術館は、「自然と人間との関係を考える美術館。瀬戸内の静かな自然が発するリズムと、その場に最もふさわしいアートと空間の中で人間の知性と感性の刺激を体感する場所。」とパンフレットに書かれていました。まず、チケットセンターでチケットを購入し、地中美術館入り口まで徒歩で移動します。センターから入り口までの途中に、「地中の庭」があります。地中の庭は、クロード・モネが愛した植物を配した庭園でした。色とりどりの花、約150種類の草花と40種類の樹木が植わっています。
 館内はコンクリートで入口から進んでいくと、広い空間?そこには絵画が飾られていました、パンフレットを見ると「クロード・モネ室」と書いてありクロード・モネ室には5点の絵画を鑑賞できます。次にウォルター・デ・マリア室、そこに入ると突然「え??なに」と解らなかったのですが、室内の真ん中に直径2.2mの球体、壁には27体の彫刻、天井には光が差し込む空間がぽっかり空いていて、話を聞くと日の出から日没までの間、真中に置かれた球体に光があたり、それに反射して、壁に置かれた27体の彫刻に反射し、作品の表情そして空間の表情が刻々と変化するそうです。次にジェームズ・タレル室、そこは3作品に分かれていて、光そのものをアートとして提示する作品でした。パンフレットにも書かれていましたが、自然、そしてアート
、太陽の光、今までに体感した事のない美術館でしたが、この日は雨でしたので、是非次回、四季折々の自然と、また自然から生み出す光の空間を体感したいと感じました。
 地中美術館を出て、家プロジェクトのある本村地区へ向かいました。「家プロジェクト」とは
、古い屋敷を買い取り、家そのものを作品化したプロジェクトです。本村地区には6箇所の作品がありました。家の空間は、数時・滝・闇〜光・花・と様々な空間がありました。ただ、各プロジェクト屋内でのカメラ・ビデオ撮影が禁止となっていて、現地に行かないと空間が体感できないので、一度皆さんも行ってみたら良いとお勧めします。
 本村地区を出て、宿泊先「つつじ荘」へ。 チェックインをした後少し休憩、事前に事務局の石川さんが、政経塾の成り立ちから、塾の方針、学塾との関係などを資料にまとめていて、その資料を基に休憩後会議が始まりました。いろいろな話が出ました、機会の学塾と政経塾との違いは、学塾は半期で塾生の入塾と卒塾があります。政経塾は塾で学びたい人は誰でも受け入れます、卒塾はありません。ですから、学塾と姉妹結論を結んでいても、ここ2.3年以前の学塾生の方
々には、政経塾の事をよく知らない人もいるという事、そして、両塾のトップがリタイアした後、両塾の関係が維持できるのかという問題、言葉の壁、様々な課題がありますが、話し合いの中で、トップ同士ではなく両塾の窓口を決める事、韓国と四国との中間地点に拠点を置き、両塾がテーマを決め、その拠点で行う事や、言葉の壁の問題については、お互いに人材を送り迎えるなどをして、語学を習得し合う事などの話がありました。これについては、協定書を交わす事になり、協定書の内容については、次の日の宿泊先で話し合う事で、約2時間の会議に終わりました。会議の後食事となりましたが、夕食は焼き肉でした。焼肉
・・・?はと思ったものですが、日本式の焼肉を味わっていただくのもいいかなと思い食べていましたが、皆さんに美味しく味わっていただけたかどうかは???微妙、(だって日本人の自分が韓国の焼肉の方が美味しいと思うから???微妙なのです)夕食後、会議で提案されていた、窓口を誰にするかという問題で学塾の方は早速決り、同行して来ていた、ソン・ボンギさんが窓口になると言ってくれました。寝床に入るのに時間があるので、劉塾主が韓国から「千年約束」というお酒を持って来ていて、そのお酒の名前のように、約束を交わし続けるという意味も含めて千年約束のお酒で乾杯しました。とても和やかな雰囲気で時間が過ぎ夜も更け・・・互いに寝床に着きました。

 11日7:30に朝食、9:07出港⇒鳴門市へ向かいました。この日は大塚美術館と鳴門橋「渦の道」の見学。
 大塚美術館は何度か見学しましたが、館内はとても広く美術品の価値や良さなど分かりませんが、何度訪れても一つひとつの絵には、当時の服装や背景・生活が分かり、様々な人が同じ人物を描いていても、一人の人物が全く違った顔を持っていて
、表情からでも一つひとつの絵から伝わってくるものの違いが分かりました。美術館を出た後、宿泊先へ向かいチェックインし少し休憩をして、渦の道に出掛けました。渦の道は微妙に恐怖心が出てきます、頭上に車が通るたびに橋が揺れ、下は渦潮の海、残念ながら渦は観られませんでしたが、初体験でしたので印象に残っています。渦潮の見学の後夕食まで時間があるので、前日の会議のつづきで協定書の話になりました。協定書の内容は、窓口となるソンさんが一度帰国した後こちらへ正式に送るという話になりました。話し合いの後夕食を済ませ、前日のように千年約束のお酒で乾杯し和やかな時間と共に寝床に着きました。

       

 12日、松山空港17:30発の飛行機ですから、何時もより少し遅めの出発でした。松山空港へ向かう途中、徳島の四国八十八箇所・霊山寺とドイツ館を見学しました。ビックリしたのが、霊山寺でパクさんが、般若心経?みたいな・・
・手を合わせて唱えていました。朴さんが唱える前に大和田塾頭も般若心経を唱えていましたが・・・・。
 見学した後、松山へ向かう途中高速のパーキングエリアで昼食でしたが、昼食は讃岐うどんを食べました、以外に皆さん美味しいと喜んで食べてくれていました。前日鳴門市でしたが、宿泊先の近所にあるお土産店で、讃岐うどんをお土産に上げましたが、帰国後皆さんが美味しくできたかどうかが心配です。食事の後空港へ直行です。空港へ到着した後、皆さん疲れているので直に帰りなさいと劉先生が気を配ってくれたのですが、搭乗手続きが終わるまで、空港のお土産店を見て回ったり、話をしたり少しですがお別れの時間まで過ごしました。お別れの握手と共に搭乗手続きが終わり互いに姿が見えなくなるまで手を振りながらお別れをしました。

        

 今回、学塾の方々の訪問は今までとは違い、両塾にとって前進しつつある話し合いができたと思います。今私が感じ思う事は、両塾にとって何が一番良いのか、両塾が互いに何をするにも言葉が壁になる為、互いに語学習得のため人材を送るという話がありましたが、その1人が語学を習得しても、私は言葉の壁は無くならないと思います、窓口を一つ設けて、互いの行事ごとを決める時、その窓口が両国の言葉を覚えていなければならないと思うし、語学を習得し通訳的存在を生み出したとしても、当初塾頭がよく言っていた、両塾の塾生同士の交流が無くては何の為の姉妹塾なのか、また塾で教わっている、出会いの意味が無いと思う、だから1人が語学を習得しても、私は言葉の壁は無くならないと思いました。これは以前行っていた子供の国際交流で感じた事ですが、たった1週間ですが子供たちは、言葉が解らずとも身振り手振りで会話をしながら交流を行い、別れの時は涙するほどです。確かに、学塾での講義の時、身振り手振りでは勉強になりません、絶対に通訳が必要になりますが、塾生同士の交流は言葉が壁になりますが、子供たちのように身振り手振りからでも会話をする努力をすれば、片言の言葉を覚えその中から、より両塾の関係、塾生同士の関係が深まるのではないかと・・・。上手く自分の思っている事を明確にまとめ伝える事が出来ませんが、時間と能力そして費用を賭けなければならないのであれば、まず事務局側の自分が講義の通訳までは無理ですが、韓国語を片言からでも習得すれば良いのではないのか、言葉の壁と考える皆の問題が解決する訳ではないですが、今回つくづく思い知らされました。言葉の壁を解決するのに、なぜ自分たちが両塾の為、言葉を覚えようとしなかったのかと、悔やんでいます。自分が偉そうに韓国語を覚えると言ってもどこまでやれるか分からないけれど、劉塾主が教えてくれた事、まず単語から1語1語覚える努力をしたいと考えています。

 最後になりましたが、劉判洙塾主、ソンさん、パクさんとの、この4日間は素晴らしい日となりました。そして事務局の石川さんが4日間道中の運転してくれましたが、とても大変だったと思います、本当にお疲れ様でした。皆様には感謝しています、有難う御座いました。
平成21年6月12日
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