韓国 “機会の学塾”訪問 |
今回の学塾への訪問は、10月7日(水)〜9日(金)2泊3日の予定でした。今回の訪問目的は、機会の学塾・23期生の卒塾に当たり最後の勉強会に参加する事と、もう一点は、政経塾にとって、又両塾にとって最も重要な打合せの為、新しく入塾した新メンバーをいれて4名が訪問する事となりました。 7日、何時ものように朝6時に塾を出発 ⇒ 関空 ⇒ 釜山到着、釜山に着くと劉判洙塾主と今年の6月に政経塾に来日された、パク・ジョンホ氏・ソン・ボンギ氏が出迎えて下さいました。空港に着いた時、空港内の銀行で両替に少し時間が掛かり、劉先生に「何してる、空港の銀行は少し高いよ、何年こちらに来ていますか?」と、塾頭は劉先生に叱られながらホテルに向いました。ホテルに向かう道中、夕食まで時間があるので、パクさんとソンさんが釜山市内の観光にと誘ってくれたのですが、長時間の車と飛行機の揺れで疲れていたため、夕食までの時間、ホテルで休憩をさせてほしいとお願いをしたのですが、せっかく来たのだから楽しんでもらおうと誘ってくださったのに二人には本当に申し訳なかったです。毎週水曜日は劉先生が大学の講義に行っている為、忙しい時間の中、私たちの為に空港からホテルまで付き合って下さいました。ホテルに到着後休憩を取り、夕刻、パクさんとソンさんが迎えに来てくれて食事に出掛けました。夕食はカルビでした。実は同行していた新メンバーの藤川さんは、お肉が駄目で、どうしようと言っていましたが、日本の焼肉と食べ方が違うので、カルビが美味いと食べていました。カルビを美味しく頂いた後、ご飯ですが、ご飯にするか麺類にするかで何時も悩みます、塾頭はメニューに日本で言えばソーメンがあったので、温かいソーメンを頼んだのですがでてきたら冷麺でした?出てきた食事はテーブルいっぱいで、カルビに冷麺・ビビンバに御飯とテンジャンチゲ(韓国の味噌汁)と初日の夕食は楽しく、又美味しくご馳走になりました。夕食では、劉先生が大学講義の為不在でしたが、藤川さんが半年間オーストラリアに留学したいた為と、ソンさんが旅行会社に勤めている為、二人は英語が話せたので、覚えたての片言の韓国語と二人の英語で会話ができ楽しい時間があっという間に過ぎ、1日が終わりました。 8日、2日目は両塾にとって最も重要な1日です。朝10時、ホテルのロビーで劉先生と打合せです。打合せの内容は 、両塾の言葉の壁を改善するため、6月に直島で語学を身につけることを目的に四国政経塾から人材を機会の学塾へ半年間派遣する事が決りました。この度、新メンバーの藤川さんが行く事となり、語学研修受け入れの為の打ち合わせと、更に学塾の24期生として藤川さんが入塾する事も決まり、半年間研修への両塾の契約書並びに同意書や必要書類等の詳細について打合せの後、劉先生から、学塾事務所移転先物件の話がありました。塾の教室と塾運営資金に充てる為にブックカフェの運営も計画している為、移転先の内容は非常に難しく、現在候補に上がっている物件は格安で良いのですが、場所的に問題があり建物に駐車場が無く、ブックカフェを運営しても客の出入りがおそらく取れないのと、もう一点は、学塾の塾生にとっても通うのに難しいのではないかと考えられる場所なので、もっとよく慎重に移転先を考えなければならないと、塾頭が話していました。話し合いの後、詩人で有名な方がブックカフェ「百年魚」を経営しているお店がホテルの近くにあるから、そこに行きまし ょうと、ブックカフェに向いました。 ブックカフェに向かう途中、ある階段に腰掛けたアコーディオン弾きと『四十階段記念碑』が建てられていました。劉先生が説明をしてくれましたが、その階段は、戦争中に街が焼かれ、避難民が山の上へ上へと住むようになり、多くの人が戦争中、生活のためこの階段を上ったり下りたりの過酷な生活が繰り広げられていた場所だそうです。記念碑の裏には、歌詞が刻まれていて題名が「慶尚道アガシ」、戦争中故郷を失った人たちの憂いをやわらげ、痛みを分かち合う内容の歌だそうです。 カフェに着くとまだ掃除中でしたが、運営している娘さんが快く入れて下さいました。カフェでコーヒーを頂きながら話をしている中、歩いていたせいか暑くて汗を拭いていたら「少し暑いですね、冷たい水です」と、娘さんが気を使ってくれました。娘さんには日本に友達がいて、片言ですが日本語が話せたので少しですが彼女との会話も楽しみました。そんな中、昼食の予約時間が来てしまい、昼食の場所へ向かいました。食事はホルモン焼きでした。劉先生をはじめ、理事のソンさん、事務局のジョンさんと美味しい食事を楽しみました。昼食後は、劉先生から「塾頭は国際市場が好きだから、国際市場に行って、夜の時間までゆっくりホテルで休みなさいと」昼からの時間を空けてくれました。国際市場では、塾頭と藤川さんが旅行カバンを購入し、ウロウロと市場の探索後ホテルへ・・・。 夕刻6時頃、パクさん、ソンさんがホテルに迎えに来てくれて、機会の学塾へ向かいました。今回は、23期生最後の勉強会でした。この日は卒塾するにあたって劉先生が23期生に最後の言葉を残す勉強会でした。上記説明しておりました、藤川さんの事もあり勉強会に参加していた為、劉先生から塾頭が皆にお話をしなさいと、何時もの講義とは時間が少ないでしたが、23期生に塾頭から最後の言葉を述べる事となりました。 教室に入ると、23期生とOBの方々の歓迎の拍手と共に始まりましたが、塾頭の話の前に、学塾の事務所移転に費用が掛かる為、大和田塾頭と政経塾から高額ではないですが、寄付金をさせて頂きました。まず、大和田塾頭から始まり、政経塾代表として石川さんと共に、寄付金の贈呈をさせて頂きました。 23期生に卒塾のお祝いの言葉として、大和田塾頭の話が始まりました。内容は、政経塾の勉強会や塾頭の話の中でよく自分にも言われている事でした。塾生が機会の学塾に入塾し勉強していく中で、今まで本気でやれていたか、学塾で組まれた行事等に本気で活動出来ていたか、卒塾前に振り返り今一度反省してほしい、そして卒塾してからも、塾で学び活動してきた事を、社会において、また自分の家庭や生活の中で何事にも本気で実践してほしいと、卒塾する塾生へ、塾頭からのお願いの話でした、最後に “卒塾・おめでとう” ・・・。何時もの勉強会の講義ではないので、塾頭も多くの事は語りませんでした。私的に感じたのは、大和田塾頭らしい話の内容でした、卒塾する塾生だけでなく、学塾のOBの方や私たち政経塾の塾生にも、日々の生活、そして活動していく中で、「あなた達は、本気でやれているか!」と、問いかけられたように思います。 話しの後、教室で塾生たちが持ち寄った料理を囲み食事会になりました。もちろん私たちは料理の用意などしていませんでしたが、塾生の方々が、どうぞと料理を並べてくれて、そんな中、OBのソン・ボンギさんが、妻が塾頭さんに作りましたと、キティーちゃんの可愛らしいお弁当を持ってきてくれました。塾頭は「私に・・・!ありがとう」と、嬉しそうに弁当箱を広げ頂きました。私たちも卒塾生の方々やOBの方々と楽しく食事をさせて頂きました。そんな中、何度か記事にも書いていますが、通訳をしてくれていた美香さんが 、大学の勉強のためこの日はソウルに講演を聞きに行っていたのですが、わざわざソウルから帰 って来てくれて再開する事が出来ました。藤川さんが24期生として半年間学塾にお世話になる為、藤川さんの挨拶がありました。また、藤川さんの半年間語学研修の為、韓国滞在の間お世話になるホームステイ先のOBグゥ・ミョンジン夫妻も参加してくれていたので、挨拶を交わし、皆さんと美味しい料理と少しのお酒、楽しい食事会となりました。 食事の後、少し時間がまだあるので、また少し話しなさいと、塾頭の話が始まり、今度は、人生の宝という話をしました。劉先生には500人位の友達がいます、あなた達は友人が何人いますか・・・?この世の人の最大の財産は人脈です。地位や名誉・財産は一時的な物で、何時失うか解らない、人脈は私たちが心をこめて付き合っていけば自分がどんなになろうと無くなりません。この世の宝とは、友人が唯一の宝です、これから先自分の人脈をより多く広げ、より多くの友人を持ちなさい、と話しました。人という宝、多くの友人を持つ。幾度となく政経塾で言われている事を自分自身に問いかけ自分への課題だと改めて思い知らされました。塾頭の話の後、劉先生が半年間のまとめと、卒塾生たちへの期待の話があり、最後の授業が終わりました。 9日帰国日、朝8時にホテル出発の為、理事のソンさんがお別れを言いに駆けつけてくれました。何時も心から歓迎をしてくれるソンさん忙しい中ホテルまでお見送りに来て下さり感謝いたします。ホテルから空港までは、パク・ジョンホさん、ソン・ボンギさんが送ってくれました。 最後になりましたが、23期生の皆さん卒塾おめでとう御座います。また、劉先生はじめ、学塾の皆さん、そしてパクさんとソンさんには、私たちの為に忙しい時間の中送り迎えとお世話になりました。皆様には心より感謝いたしております。それから、半年間、藤川さんが皆様にお世話になりますが、何卒宜しくお願い致します。有難う御座いました。 |
平成21年10月9日 |
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