久しぶりの韓国 和純 雲住寺・順天 松廣寺の訪問 |
韓国機会の学塾には年に2回、多い年で3回程訪問していましたが、去年の11月末以来、スケジュールの都合上、韓国に訪問する機会がなかったため、今回の韓国訪問はとても久しぶりになります。 9月30日〜10月2日に掛け、韓国機会の学塾の課外学習研修事業に参加しました。参加人数は私たち政経塾のメンバーを入れて、約40名余りの課外学習研修事業です。和純 運舟寺と順天 松廣寺を訪問。30日、松山空港 ⇒ ソウル着 ⇒ ソウルで一泊。翌日1日早朝ホテルをチェックアウトし、昼過ぎに光州の食堂で学塾のメンバーと合流。昼食後、和純 雲住寺訪問 ⇒ 順天 松廣寺訪問、お寺の訪問後、寺近くの民宿で一泊のスケジュールでした。 先ず、和純 雲住寺へ向かいました。雲住寺に到着し入口を進むと、日本人の私が思っていたお寺とは違い独特な仏像と仏塔がありました。韓国の中でも、他の寺では見られない独特の形の仏像・仏塔があるお寺で、雲住寺は神秘的な寺刹と呼ばれています。かつては、千体の仏像と千基の仏塔があり千仏千塔として有名でしたが、現在は約100体の仏像と20基の仏塔が残っています。雲住寺の創建について正確な記録はありませんが、新羅末期にトソン国師(827〜89 8)が創建したという説があるそうです。雲住寺は通常お寺の入口にある金剛門や天王門などがなく独特でした。雲住寺でいちばん最初に目に付くのが雲住寺九層石塔(宝物第796号)、この形式の塔が全部で11基あります。他にも、七層石塔と五層石塔、箱入り背中合わせの仏様、乞食仏や親子の仏様、天体信仰の跡などどの仏塔・仏像も日本人の私には、神秘的でいろいろな文化財を見ることができました。 山頂に寝姿の石仏がある坐仏は、道銑国師が一昼一夜にして千仏千塔を立て、新しい世を開こうとしたが工事が終盤に近くなった頃、働くのが嫌な童子僧は「コケコッコー」と、鶏の泣きまねをしたため天の石工たちが皆、朝になったと思い天に昇ってしまったため、結局坐仏(立っていない)として未完成のまま残ってしまったと云われています。また坐仏が立ち上がる日には、ここが都となると伝えられていたそうです。 坐仏は、山頂にあるため、登った後はとても爽快で眺めがよく、坐仏に見守られているようでとても印象的に残っています。 次に、順天・松廣寺に向いました。松廣寺の訪問は、雲住寺のようにお寺を見て回るのかと思 っていましたが、松廣寺では精膳料理を頂き、精膳料理の後、参拝の時間までお寺の住職様からお寺の説明を聞き、その後、参拝の作法を教えて頂きました。韓国の参拝では、僧侶様の御経から始まり、途中で本を渡され般若心経を唱えます。日本とは違った参拝方法でしたが、貴重な体験が、貴重な時間を過ごせました。只、残念に思えた事もあります。正直、韓国のお寺を訪問する事に、この松廣寺について少し調べましが、韓国の中でも有名なお寺です。 松廣寺は、高僧を多く輩出した、韓国の三宝刹の中の「僧宝寺刹」と言われ、松廣寺は曹渓山の西の麓に位置するお寺で、韓国の三宝寺刹として有名な寺院です。僧宝寺刹とも呼ばれる松広寺は仏宝寺刹である通度寺、そして法宝寺刹の海印寺とともに韓国華厳宗の根本道場として知られています。 僧宝というのは釈迦の教えを習って修行するお坊様(修行僧)のこと。このお寺が僧宝寺刹と言われる理由は、この寺が高僧を多く輩出したことによります。 松廣寺は新羅の末期、慧麟(へリン)禪師が吉祥寺として創建した後、高麗明宗27年、普照国史ジヌル和尚が大刹を成し、熙宗4年今の松廣寺に改称し、朝鮮憲宗8年大きい火事の後、哲宗7年再建しますが1948年麗水順天事件と、1951共匪蛮行で大雄殿等の主要建物が消失して1984〜1988年まで第8次にわたっての仏寺再建で大雄殿等33軒が復元された。 松広寺は、参道の虹橋を経て一柱門をくぐって羽化閣に至ると、俗世とのご縁を切って橋を渡 って仏国浄土に向かった禅僧の面影が浮かべられます。大伽藍は大雄殿を中心に左右に僧宝殿と地蔵殿などの各殿閣が立ち並び、雄大壮厳な姿を現わしています。松廣寺は国宝並みの文化財が多く、ゆとりを持って散策しながら回って見るのもいいでしょう。 仏教では仏の(仏)と、仏の教え(法)と、その教えに従って悟りを求める僧侶(僧)を3つの宝として三宝と呼んでいる。松広寺(ソングァンサ)が僧宝の寺院と呼ばれているのは、普照(ポジョ)国師をはじめ、仏教改革のための決死運動とこれを実践に移すための座禅修行の伝統を確立し、多くの国師と大禅師を輩出してきたからです。 上記説明は、資料の中から松廣寺について少し説明させて頂きましたが、寺院内はとても広く参道〜山門(一柱門)⇒ 羽化閣(全羅南道地方文化財第59)、四天王像、大雄宝殿、薬師殿(宝物第302号)、霊山殿(宝物第303号)、観音殿、下舎堂(宝物第263号)、国師殿(国宝第56号)、聖宝閣等、資料の通り時間をかけてゆっくり散策したくなります。 中でも資料によると、国宝 国師殿は、朝鮮時代前期の建築様式を残す木造建築物で、松広寺が輩出した国師の肖像画が祀られ、1951年に松広寺が大火事に見舞われた際、唯一焼失を逃れることができ、国師の法力で守られたと信じられています。 同じく国宝の高麗高宗制書は高麗時代の1216年に製作された文書で、絹地を7枚繋げて作られており横幅3.7mに及びます。 国宝の高麗高宗制書は、高麗時代の文書で僧侶に宛てたものは何点も現存しておらず、大変貴重な物とされています。そして松広寺が所蔵する3点目の国宝 木彫三尊仏龕は高さが17cmと小ぶりながらも細部まで正確に描写されており、当時の彫刻様式を知る貴重な資料ともなっています。全体が3部分で構成されており、中央に本尊仏が、両扉に菩薩と童子が彫られています。 このように国宝をはじめ、様々な物が点在し、松廣寺を散策できなかった事が残念でなりません。次回、プライベートで松廣寺を再度訪問したいと思ってなりませんでした。 松廣寺を訪問後、夜になりお寺の近くの民宿に泊まりました。夕食は松廣寺で精膳料理を頂いていたので、民宿の庭で学塾の方々とキャンプファイヤー(マッコリーパーティー)を楽しみました。民宿の場所が山の中ともあって寒かったのですが、学塾の方々と意見交換などをして、また歌を歌ったりもして、とても楽しい時間を過ごせました。私たち政経塾メンバーは、翌日帰国のため、早朝6:30に民宿を出発しなければならなかったので、学塾の劉判洙先生が早く休みなさいと言ってくれて、私たちは夜中1時前頃床に・・・。ホテルとは違い民宿ともあり、また疲れも出ていたのか、私はなかなか寝付けませんでした。学塾の方々は、夜中の3時過ぎ頃まで寒い中、楽しんでいた塾生の方もいました。(翌日しんどいのに大丈夫だったのか心配です) 今回の、韓国訪問では、ものすごく貴重な体験が出来た事に感謝しています。日頃、政経塾行事の中で、毎月一回、偉人館巡りをしていますが、資料館を巡る時、下調べをせず頭を空っぽにして勉強しなさいと言われています。ですが今回は、韓国のお寺ともあって前もって訪問するお寺について調べました。日本とは違い、韓国ですので案内板があっても全てが日本語で訳しているとも限らないので調べました。訪問するお寺の事を調べていると、お寺=仏教と・・・? 仏教とは果たして何なのかと、自分なりに整理をする意味で、少しまとめてみました。私は、仏教という教えに縋りたいと思っている訳でもなく、また、新興宗教にかぶれている訳でもないのですが、仏教に限らず、これまでの時代の流れと共に宗教が世界の人々に大きな影響を与えてきたという事実は否定できないと思います。一応「仏教国」と見なされている日本の仏教とはと、この機会に考えてみたけれど、仏教と答えようとすると奥深くて私には答えられません。 そもそも仏教というのは、仏教の祖である仏陀が誕生したのは紀元前6世紀、その後北インドを始めとするインド全域に広まりゆくとともに、山や海、砂漠を越えてアジア各地に伝わったと言います。 そのルートには北と南の2本があると言われ、インドの北方にそびえるヒマラヤ山脈の山々を越えて、チベットや中央アジア全域に伝わった「北伝仏教」は、東に向きを変えて中国から朝鮮半島、そして日本海を渡り、日本へと伝わりました。古代インドの釈迦から発した教えが、中国・日本へと流れていく過程で、これが同じ仏教なのかと、参拝の違いもあるし、仏教の教えも国が違えば代わるし、お寺そのものの建物も国によって違う、そう思うと、歴史の流れとともに変容せざるを得なかったというのが実状かもしれないと思いました。 お寺=仏教ということで、日本の仏教についても少し調べました。お釈迦様の教えは、21世紀になった現在でも、大変貴い教えとして広まっています。 仏教と言えば、宗派がいくつかに別れていて、例えば、私の家の宗派は真言宗です。私は今まで、人生の終わりが近付きこの世を去る時、あの世で極楽に過ごして下さいと導いてくださることが、仏教、またお寺の住職様の役目だと思っていました。でも、仏教とは、決して亡くなった後の教えだけではなくて、今現代に生きている人間にとって大変有難い教えが仏教であり、もっと前向きの姿勢で見て頂くものだと知りました。 その、仏教の教えの中に、 ・仏教とは 「自分とその周囲のあるがままの姿を知らせ、その間に巻き起こる問題を適切に処理することを教えるもの」 ・ここにある 「その間に巻き起こる問題」とは、私達が生まれながらにして人間にまつわる苦しみや悩みであり、それを癒すのが仏教の教えです。 ・仏教は我々に「誰からも・いつでも・どこでも」後ろ指をさされないような、堂々たる人間になる事と、誰からもしたわれるような暖かみのある人間になる事を教えていると言う事も知る事ができた。 仏教の教えの中には、生・死の両方の奥深い教えがある事がわかり 、また人として生きていくもっとも根本的な教えが仏教の中にあると解るとともに、国によって仏教の教えに違いがあったとしても、人が人としてどうあるべきか、という事を深く考えさせてくれました。そう言った意味でも今回の韓国訪問は貴重な時間だったと思います。 最後になりましたが、今回お世話になった、お寺のご住職様、学塾の方々、有難う御座いました。 そして今回の韓国訪問では、松山発 ⇒ ソウル着便だったため、お寺の訪問には、新幹線でソウルから光州へ移動、光州から地下鉄で移動しなくてはならなかった為、学塾 劉判洙先生ご子息のジュンさんが、私たちに同行して下さいました。また、2日の日に帰国する予定でしたが、高速バスでソウルへ向かうバスのチケットが不幸にも満席のため購入できず、とりあえず、普通のバスで光州まで行き、光州から新幹線に乗りソウルへ向かったのですが、飛行機の時間に間に合わず、2泊追加する事になってしまいました。 3日の日は、またジュンさんにお世話になる事になり、南大門市場に連れって言ってもらい、次に市場の近くにある、韓国の昔の建物と生活を知る事が出来る、民俗村資料館を見学し、その後故宮前の大通りに向い、忠武公 李舜臣将軍像と世宗大王像の見学、そして、銅像が立つ地下にある世宗文化会館の見学と、ソウルで一番に建てられた教会へ、この教会ではちょうど結婚式の最中でしたが結婚式が終わった後、協会の中を少し見学しました。ジュンさんには滞在中3日間とてもお世話になり、充実した時間を過ごさせて頂きました。本当にお世話になり有難う御座いました。 |
平成23年10月4日 |
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