機会の学塾来塾
 6月28日の四国政経塾の15周年行事の為、劉判洙 理事長、LEE JAE HWA同窓会長、HWANG YOON HEE 18期生、KIM YOUNG RAN 21期生、LEE KYOUNG AE 21期生の5名の方が式典の為、27日に四国中央市に来られました。

 27日四国政経塾の塾生4名と夕食を済ませた後、宿である、長谷寺まで送りました。

 28日は午前中、新宮のアジサイを見学に行きましたが、先ず、彼達が感動したのは、アジサイの美しさと数の多さ、多くの人が来ている事、機会の学塾生が感じた質問を沢山受けました、何故、山奥にこんなにアジサイを植えたか?アジサイ祭りの期間何名ぐらいの人が訪れるのか、丁度、山の休憩所にアジサイ祭りの責任者の方が居られ、塾生の石川君から紹介を受け、アジサイ祭りの始まりとか趣旨を説明して頂きました。
 「徳島県境に近い山村の集落、宇摩郡新宮村上山中野地区。わずか十六戸、約四十五人の集落に毎年六月、県内外から一万人を超える人々が押し寄せる。青や紫色などの清そな花が咲き誇る「あじさいの里」が目当てだ。
 周囲の山並みや銅山川を見下ろす斜面約三ヘクタールに、約二万五千株が美を競演。平凡な山里に別世界の風情を醸す「あじさいの里」は、地元住民らの手で誕生した。
 1975年、同地区に念願の農道二キロが開通。地区の主婦十数人で作る生活改善グループが、記念に農道沿いにアジサイを植えたのが始まり。当時の会長大西澄子さん(75)は「村外に出た若者が『これといって自慢できるものが無い
』と嘆いているのを聞き、思い立った」と振り返る。
 最初は苗約百八十本を植栽。翌年、曲がりくねった農道を彩るアジサイに、地区民みんなが感動した。同グループは毎年、施肥や草引きなどの手入れをし
、挿し木で数を増やしていった。
 1989年、同グループは発展解消し、地区の男性も加えた「中野あじさいグループ」が結成された。翌年、「あじさい祭り」がスタート。九四年には隣接地区などからも協力者を募り「新宮あじさいグループ」(大西敬志郎会長)を再編成した。これまで農道沿いにしかなかったアジサイを、徐々に周囲の休耕地にも増植。「あじさいの里」が誕生した。
 山あいの広い斜面を埋め尽くす見事なアジサイは年々評判となり、今日では同村の第一級観光資源にまで育っている。また同地区は九六年、農山漁村高齢者対策優良活動地域部門で最高の農林水産大臣賞を受賞した。」
 以上のあらましの説明、又、話を聴き行政の力をからずとも、地域住民の意識、やる気で、本気で行動を起こせば、物事は出来る事を学んだと思います。

        

 昼食は霧の森で霧の森定食を頂き、有限会社 脇製茶場に向かい、社長自ら、お茶の摘み取りからお茶が出来るまで工場を説明しながら見学させて頂き、最後に、美味しいお茶の飲み方を教えて頂ました、本当に脇の社長様にはお世話になりました。
 夕方5時より、機会の学塾生と松下政経塾の古山塾頭との懇談会を40分程して、15周年の会場である、コスモパルに向かい、式典に合流いたしました。
(尚、式典の内容は塾報で紹介させて頂いています)

        

 29日は朝、機会の学塾生に新しい教室を説明していたら、橋本顧問と日林ご夫妻がお出でに成り、機会の学塾生に橋本顧問のお話を聴いて頂だいたことは無かったので、高知の坂本龍馬記念会館の資金を集める為、髪を伸ばし、全国を龍馬の講演をして回り、講演料を10億円集め、龍馬記念会館を立て、高知県に寄付した話やら高知空港を高知龍馬空港に名前を変える為の苦労話しなど、地域活性化の為、坂本龍馬会を全国に作り、其の龍馬会が全国で其々地域活性化の為に活躍をしている話をして下さいました、地域の為に四国政経塾生も機会の学塾生も橋本顧問の目的を持った時の行動の強さ、又、其れをやり遂げるまでの信念を持ちける精神力を如何に持続し行動することが如何に大切かを解って貰えたのではないでしょうか。

           

 話の後、四国政経塾生4名とYOO塾主ほか機会の学塾生は帰国の為、塾を後にして松山に向かいました。松山では子規記念会館を訪れ、館内を視察した後、YOO理事長が俳句を投稿して、道後本館前で記念写真を撮り、道後の商店街で買い物を楽しんだ後、松山空港に向かい無事に帰国の途につかれました。
 今回の15周年の記念行事に忙しい中、韓国から参加して頂き、感謝の気持ちでいっぱいです
、本当に有難う御座いました。
平成20年6月29日
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