韓国機会の学塾 課外研修参加
 9月30日より韓国機会の学塾の課外研修に参加の為、松山空港からソウルに入り、30日はソウルで一泊し、10月の1日朝9時の新幹線で光州に向かいました。光州から全羅南道和順郡道岩面大草里で機会の学塾の人たちと合流し、昼食後、雲住寺に向かいました。

       

 雲住寺(ウンジュサ)は他の寺とは違い独特な仏像と仏塔を持っており、神秘的な寺刹と呼ばれているそうです。以前はこの寺には千体の仏像と千基の仏塔があり、千仏千塔として有名でしたが、現在は約100体の仏像と20基の仏塔が残っていました。雲住寺の創建について正確な記録は無いそうですが、新羅末期にトソン国師(827〜898)が創建したという説があるそうです。


 雲住寺は通常寺の入口にある金剛門や天王門などがなく独特の様式。雲住寺でいちばん最初に目に付くのが雲住寺九層石塔(宝物第796号)で、この塔には精巧さがなく素朴な造りとなっており。九層石塔から少し歩くと左右の分かれ道になっており、左側に行くと七星岩があり。これは北斗七星の姿に似ていることから、雲住寺が星座の姿をかたどっているとの説の由来だそうです。他にも臥仏2体や侍衛仏(石仏立像)、七層石塔と五層石塔などいろいろな文化財を見ることができました。

        

 雲住寺を後にして松廣寺に向かいました。境内の中はなだらかな山道でしてその参道を暫く登り、清流が大きく曲がる地点で橋の上手に美しい建物が目に入ってきました。清涼閣と言う建物です。世俗の煩悩を仏の清涼水で清めて来いという意味で、その下には清らかな渓谷の水が流れている。清涼閣を過ぎてなお登って行くと右側に松廣寺の歴代の高僧の碑石が立ち並ぶ碑林があり、前方に「曹渓山大乗禅宗松廣寺」「僧宝宗刹曹渓業林」という門札を掲げた一柱門がありました、一柱門を過ぎると今度は他では見ることの出来ない小振りな建物が二棟並んでいるのに行き当たると洗月閣と滌珠閣とゆう建物があります。死者の魂を乗せた黒い駕籠がここで俗世の垢を洗い落とすそうです。仏前に出る前に男の駕籠は洗月閣で、女の駕籠は滌珠閣でそれぞれ洗い清めなければならない。しかし一度ぐらい清めたからといってすぐに仏様に会えるわけではないそうです。俗世の未練をもう一度綺麗さ
っぱりと洗い流さなければならなく、その場所が不日滝の渓流の上に架かる虹の橋、羽化閣だそうです、鏡のような水面に羽化閣が逆さまに映る姿は、俗世との因縁を絶ち黄泉の国へ向かう霊を禅僧の心境にさせたという。この松廣寺でもっとも景色が良いといわれる羽化閣には昔からこの寺に立ち寄
った詩人墨客の漢詩が多数掲げられており、美しい姿をより引き立たせる水面でした。
 羽化閣から続く天王門と鐘鼓楼を過ぎてようやく境内に入り、松廣寺の伽藍群は、丁酉再乱と6.25戦争などで何回か消失したが再建を重ね、現在70棟余の建物が大伽藍としての威信を保っているそうです、境内に入れば雨に濡れずともそれらを一回りできるほど各伽藍の軒が深く、勇壮だった昔日の伽藍の面影が偲ばれます、といっても創建当時はそんなに大きくない寺だったのを普照国師、知訥がここを修禅社(高麗時代には寺院に社の字を付ける場合があった)と改めて大規模に再建したのが後に松廣寺となったそうです、仏宝寺刹の通度寺、法宝寺刹の海印寺と並ぶ僧宝寺刹として韓国三宝寺刹の一つである松廣寺。お経やお釈迦様よりもお坊様を大事にするこの寺を隅々まで詳細に見てみれば随所に僧宝寺刹といわれる所以を見る事ができます、松廣寺の伽藍配置のもっとも大きな特徴は大雄殿の上方に僧侶達の庫裏が配置されていることだ。大刹にしては小振りに見える大雄殿裏の石塀の上方に眞如門を設け、その中の一画を受禅区域とし説法殿、受禅寺、三日庵(坊長の庵で上舎堂ともいう)、下舎堂など僧侶達が常住する建物が配置されているのは僧宝寺刹の性格が良く表れているところだ。三日庵の上方に普照国師の墓である甘露塔があり、塀の後ろに九山禅師の墓碑、さらに歴代国師と高僧の卒塔婆群がある僧宝寺刹としての面目躍如たるところは国師殿(国宝第56号)、僧宝殿、大雄宝殿にある十六国師の肖像を奉じた国師殿は僧宝寺刹松廣寺の精神が集約されたところで、1951年の火災のとき国師殿のみ火を免れ、これは国師達の法力の賜だと信じられたほど松廣寺の僧侶が重く見る建物だそうです、国師殿上方には松廣寺の霊験の一つとされる眞楽台がある。普照国師が八公山居組寺から新たな修行に出るとき、母岳山で木で彫った鶴を飛ばしてその後を追い、木鶴が降り立ったところが正にこの眞楽台の場所だと伝えられています、釈迦当時の1,250名の比丘に仕える僧宝殿は松廣寺が僧宝寺刹といわれる所以となった建物で昔の大雄殿を移して近来設けられた建物。又、百八の煩悩の消滅を祈願して108坪の規模で新たに建てられた大雄宝殿にも歴代伝燈祖師の仏画を掲げていて「僧が尊ばれるとき仏教が尊ばれる」という言葉は僧を尊ぶ松廣寺の寺風をよく表しているそうです、修行道場であるこの寺は僧宝殿後方に文殊殿という禅院を設け、碧い目の僧侶達が修行している。普照国師が金国天子の病を治した因縁で国師に随行した金国世子が曹渓山中に庵を編んで修行した後、湛堂国師になったといい、このときから異国の僧侶が松廣寺に留まるようになったと伝えられていることから、国際禅道場としての松廣寺の歴史は相当に永いことが納得できる、世子が編んだという庵は金国天子を意味して天子庵と呼ばれる。天子庵の裏庭には普照国師と世子がついた杖が根を下ろして木に成ったという二本の白い木、隻香樹(天然記念物第88号)が奇妙な姿で立っている。この木に手を押し当てて揺さぶれば極楽に行けると、沢山の人
々が通ってくるという。天子庵から下った湛堂国師が今の三日庵横にあった霊泉の水を飲みながら三日間で悟りを開いたのでこの部屋を「三日庵」といい、薬水は「三日霊泉」と呼ばれている、普照国師の最後は印象的だったという。師の生涯を伝える碑文によれば知訥は亡くなる前夜にも遅くまで説法をし、夜が白んで来ると大太鼓を打たせて高僧達を法堂に集めて最後の問答をしつつ、やがて錫杖を掴むと法座に座ったまま静かに涅槃に入ったというが、その瞬間、師のついていた杖も萎れてしまったという。主人が行く極楽浄土で再び杖の勤めを果たそうというのか。その後この木は700年を遙かに越える今まで枯れもせずにその場にあって枯香樹とか呼ばれているそうです。
 住職より以上の寺の説明を受けた後、韓国の僧侶さん達と共に精進料理を頂ただいた後、夕方より大太鼓の打ち鳴らしてくれましたが、6名〜8名の僧侶さん達が打ち鳴らす大太鼓の音はこの世の物とも思えないリズムで30分ほど絶え間なく打ち続けました、その後、本殿に入り、30名程の僧侶と御経を読み上げながら、韓国のお寺の作法を習いました。大変意味の有る体験をさせて頂き寺の僧侶さん達に感謝致します。

 其の夜は民宿に泊まり、今回課外学習に参加した、全員でキャンプファイヤーをしながらマッコリーを飲み明かし其々の意見交換をし、歌を歌ってトテモ寒かったけど楽しい時間を過ごし、夜中の1時前頃床に着きました。
              
        

 翌朝5時30起床で、岐路に着くためバス停に向かい7時10分のバスに乗りソウルので向かう予定でしたが、ソウル行きのバスが満席でしたので、新幹線でソウルに向かいましたが、飛行機の予定時間に間に合わず、仕方なく、2日ソウルに泊まりました。
 時間があったので、ハングル文字を考え出した、世宗大王(セジョンダイオウ)の銅像を見学に出掛けました、銅像が有る場所は故宮の前の大通りで故宮に向かい、銅像は大王を守る様に李舜巨の銅像が立ちその100メートル後ろに、金色に輝く、大王の銅像が立っていました、世宗大王の残した言葉に「民は国の根源であり、根源が強固であってこそ国の平安が維持できる」1423年7月3日、又「国を治める最も効果的な方法は、信頼を示すことだ」1425年4月14日この言葉は世宗実録に納められている、どこかの国の政治家にもこの言葉を胸に秘め政治をやって欲しいものだ??

         

 銅像の地下は記念館に成って居り、非常に興味深い資料が沢山納められ、韓国の歴史が一部では有るが展示されていた。
 後、民族資料館に向かい、此処では、韓国の人達の昔ながらの建物、生活のようすが窺える施設でした。
        

 今回の韓国訪問ではYOO理事長のご子息のジュン君に大変お世話に成り感謝申し上げます。
平成23年10月4日
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