機会の学塾・訪韓記

 八月暮れ朝七時半、私は眠い目をこすりながら、いつもと変わらぬ光景を愛車の窓越しに眺めていた。颯爽と駆け抜ける無数の車、ある人は怒り、またある人は大きく口を開けている。いつもなら私もその中の一人なのだが、その日の私は少し違っていた。高鳴る鼓動、巻き起こる不安、夢膨らませる希望、何とも言えぬ感覚が次第に大きくなる。今日は私にとって記念すべき初訪韓の日であった。少し走った後、集合場所である四国政経塾に着いた。まだ誰も来ていなかった。愛煙家である私は意識的にか、無意識的にか煙草に火をつけていた。一人、また一人到着する。吸い終わる頃には全員集合していた。挨拶を交わした後、皆は慣れた手つきで平然と荷物を一台のキャンピングカーに詰め込んでいる。私は唯、呆然と立ち尽くしているだけであった…。出発予定時刻を少し過ぎた頃そこを後にし、空港に向かった。四国政経塾より、韓国釜山市「機会の学塾」での講演、また我々塾生同士の懇親会への出発である。
 釜山の金海空港である。我々を乗せた飛行機はもうじき停車しようとしていたが、唯一人、私だけ外の景色に唖然としていた。軍用機が停まっているのである。しかも無数に停まっているのである。私は生まれて初めて軍用機なるものを見たのだが、その圧倒的な存在感には何か危機迫るものを感じた。空港に降り立ったあとでも驚かされる光景を見た。銃を持った軍人さん、怪しい黒服の男たち・・・。その後我々は面倒な手続きを済ませ、空港ロビーへと足を踏み出した。そこは人の山であった。その中から数人、こちらへ近づいてくる人たちがいた。皆が挨拶を交わしている。機会の学塾の方々であった。私は誰が誰だかわからないままに、皆より遅れて挨拶を交わした。出遅れた感は否めない。私は不安と希望を胸に抱きながら出迎えの車に乗り込みホテルへと向かった。
 初日の夕方、私は皆に付き従いながら講演会場へと足を運んでいた。会場とホテルは近いため、また肌で韓国文化を感じるためエスコートの方々を含め十数人での徒歩である。道中、異様な光景が私の目に飛び込んできた。颯爽と行き交う人、車、ここまでは何ら日本と変わりはない。だがよくよく見ると何かが違っていた。車が走っているにもかかわらず堂々と横断しようとする無数の人、またそれを当たり前に受け入れているかのような無数の車。公共の場であろうはずの歩道に所狭しとひしめき合う無数の露店、またそれを当たり前に受け入れ大いに楽しんでいるかのように見受けられる無数の人。私はその光景を眺めながらふと思い至った。「混沌」である。だが一般的な悪い意味でのそれではなく、それさえも覆い尽くすようなもっと大きな「何か」がそこにあるように感じた。確実に秩序は存在したのである。そのまま十五分ほど歩いて会場に到着した。講演開始である。まずは鈴木事務局長が「人生の節目を迎えるにあたっての心構え」についてお話され、続いて大和田塾頭が「知識の使い方、また行動の重要性」についてお話された。これらはもうじき卒塾する機会の学塾第7期生に向けてのものであり、また講演を食い入るように見つめている彼等のその謙虚な姿勢に私は感銘を受けた。つまりは、学び取ろうとする心構えであろうか。そして私に足りないものだとも感じた。講演終了後、徒歩でホテルへと帰り私は一杯飲んだあとすぐさま深い眠りに落ちた。
 二日目である。今日はユー・パンス氏に伴われての市内見学である。これには少し訳があり、初来韓である私に対する皆のお心遣いであった。少し遅い朝食をとった後、市内見学へと出発した。もちろん今回も徒歩である。まずは地下鉄でチャガルチ市場に向かい肌で現地文化を堪能した。数時間歩き回る中で私は様々なものを発見することができた。多種多様な物を売っている露店。そしてその商品層には一貫性は無く、新鮮な魚があるかと思えば最新の電化製品があったりもする。もちろん、コピー物なども当たり前に売られている。食事なども店内で摂るのではなく道の真中で食べていたり市場内でそのまま食べていたりする。そして雑踏の中、縦横に行き交う人々の群れ。それを掻い潜って目的地へと突き進むバイク、自転車、車。しかしこの車には驚かされた・・・。そして次に観光客向けであろうかと思われる国際市場に向かい、またもや同じく歩き回った。しかしここでは先のチャガルチ市場に見られたような新たな発見は少ない。考えればその通りであろう。観光客向けである時点で既に日本人向けのニュアンスを含んでいる。その後、雨が降り始めたこともあり、タクシーでホテルへと戻った。私は市内見学での疲れをシャワーによって洗い流し、その日の夜予定されている我々塾生同士の懇親会に向け気持ちを落ち着かせていた。出発予定時刻が来た。我々はエスコートの方々も含め十数人で会場へと向かった。もちろん徒歩である。道中、私が見たものは土曜ということもあり凄まじいものであった。雑踏の中を掻い潜り、やっとのこと目的地に到着した頃には、私は汗にまみれていた。そして皆がそろったところで乾杯の音頭と共に懇親会は始まりをつげた。一斉に肉は焼かれ、酒が酌み交わされる。今回は酒の席である。私は初日の遅れを取り戻すべく、また自分を主張すべく元々好きな酒を皆と飲み交わし始めた。言葉は通じなくとも、そこは酒の席である。なかなかどうして私としても順調に宴は進んでいた。程よく時間が過ぎた頃であった。大和田塾頭より、「今回の訪韓で感じた事を皆の前でしゃべってくれ」との指示である。そしてそれはユー・パンス氏からの願いらしい。私は動揺した。いくら酒の席といっても相手は皆、社会的地位のある人ばかりであり、私などは唯の若造でしかない。だがやらねばならない。私は勇気を振り絞り数十人の前に立ち、日韓の文化差異について感じた事を述べた。通訳には四国政経塾の則友氏がなってくれた。緊張したが酒の席ということもあり、なんとかこなせた・・・。その後ユー・パンス氏が最後を締めくくり宴は二次会へと続いた。
 カラオケの一室である。しかしそこには巨大なスクリーンがあり、人も数十人は入れようかと思われるほどに大きな部屋であった。私はその頃にはもう「出来上がっていた」ようである。見渡せば四国政経塾の皆も真っ赤である。やはり人数的にきついものがあった。飲み交わそうと思えば彼等の五倍は飲まなくてはならない。一、二時間ほど大いに盛り上がる中、互いの距離は感じなかった。個人対個人において大事なことは心構えであるということを、私は再認識するに至った。その後、宴は終わりを迎え、ホテルへと帰った。そして気が付いたら朝であった。
 最終日の朝である。もう既にロビーには迎えが来ている。帰国である。私は「昨日は飲みすぎた」と考えながらも、唸る頭と共にロビーに向かい皆と挨拶を交わした。二日酔いであった。皆がそろったところで互いに挨拶を交わし合った。ある人は労をねぎらい、ある人は将来を語り、ある人は約束を交し合っているようであった。私は「今後ともよろしくお願いします」とだけ言ってホテルを後にし、空港へ向かった。最期に空港ロビーで別れを告げた後、私は新たな信念を抱きつつ日本への帰路についた。
 そこにはいつもより少し誇らしげな父と、いつもより少し安心げな母がいる。我が家であった。
 今回の訪韓にあたって、私は「個人のあるべき姿」と「社会のあるべき姿」について深く考えさせられた。個人は集団に属し、集団は個人で形成される。すなわち、そこには「相互依存」が発生している。今後はこれを私の研究課題とし、日常に取り組む所存である。

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