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ご詠歌 |
まことにも しんぶつそうを ひらくれは
しんごんかじの ふしぎなりけり |
昔から文化の程度の高かったのは、四国では讃岐の那珂郡と多度郡で、この地からすぐれた人物を生みだした。多度郡弘田郷の豪族であった佐伯一門からも、弘法大師をはじめ、知泉、円珍(智証)真雅などの高僧が輩出している。なかでも智証大師は善通寺から四`はなれた金倉郷に弘法大師の姪を母として弘仁六年(八一五)に生まれた。幼少のころから経典を読み、十四歳で叡山に登り、後に唐へ留学し、やがて延暦寺五代座主となり、三井園城寺を賜わって伝法灌頂の道場とした。
金倉寺は智証大師の祖父和気道麿によって宝亀五年(七七四)開創され、道善寺と称していた。智証大師は唐より帰国後しばらく留まり、先祖の菩提にと唐の青龍寺を模して伽藍を造営し、後に勅願寺となり、延長六年(九二八)醍醐天皇が金倉の郷にあるので金倉寺に改称した。当時の寺域は広大であったが、戦乱のために縮小した。明治三十一年から四年間、乃木将軍が滞在したことで知られる。 |
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本尊真言 |
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
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