指導者の条件は、人を知り、人を用いる、の一点に帰する。 如何に自ら手腕力量があって、如何に自ら出世しても、人を知る力無く(人を見抜く目)、人を用いる(適材適所に配置)徳がなかったならば、指導者として失格である。
近代社会の根本的弱点は名士がひとしく人を知らない点にある。 自ら指導者の地位に就いても、普段からあらゆる層のいろいろな人物と交流が無い為、先ず抜擢登用すべき人材を適材適所に配置が出来ない、中には指令する人さえ待たぬ者も少なくない。
この様な事で何の力有り徳有るリーダーシップが行えるだろうか。
人間を語る場合はもちろんですが、リーダーを目指すいかなる人も心しなければならない事は結局、どれだけ人物を知り、かつ普段から沢山の人と信頼関係を保ち、そして、難局にあたった時、どれだけの人間がともに戦ってくれるのか。
「意中人あり」と言います。 いざ鎌倉という時、即座に適材適所を図る采配が下せるか。 そして、それに呼応して、意気に感じて協力してくれる人がどれほど存在するのかです。
指導者の要件は、結局「人を知るの、明、人を用いるの、徳」だという事です。 それに、まず人間を磨き、多くの人と出会い、その縁を生かしていく必要があります。
柳生家の家訓に次の言葉が有ります。
小才は縁に出会いて縁に気づかず。
中才は縁に気づいて縁を生かさず。
大才は袖すりおうた縁をも生かす。
私自身、これまで、どれだけの縁を生かし又こわしてきたか、反省する事しきりです。縁を生かすも殺すも、その人自身が問われていることは言うまでもありませんが「この人についていこう。 この人のためなら、やれる事は何でもやろう」と思ってもらえるのか。 それとも「言う事は立派だけど、言行不一致。 とても一緒に仕事はしたくない」と思わせるのか。 どんなに高い地位についても、自分一人では事は成し遂げられません。 結局、多くの人の協力があってこそ、初めて事は成就するのです。
孔子は「知とは何か」と問われ、一言で「人を知る」と答えています。 松下幸之助塾主も「まずは人間把握。 人間とはどんなものかを人間自身が知らなかったらあかん。
人間が人間自身をこういうものだといって把握しないといけない。 そこから一切が始まるわけです」と塾生に力説しています。 己を知り、人情の情けを知ることによって、人間を磨き、そして、人を得る、指導者にとって、もっとも大切な事として心掛けなければならない事です。 |
|