松下幸之助氏の教えから=知識の奴隷になるな


 松下政経塾の塾主は、全国の応募者の中から厳しい審査によって選ばれる言わばエリートです。 ゆえに知識編重になりがちな塾生に向って、松下幸之助塾主は次のように戒めています。
 「習った知識にとらわれたら、知識や学問の奴隷になってしまう。 知識の奴隷になったらいかん。 知識をどうにでも使いきらなくてはいけない。 自分は知識を持っているが、その知識をいかに行使するかということの主人にならなくてはいけない。 知識に追い立てられて、それに振り回されているきらいがある」
 いかがでしょう? 皆さんも今一度自分を振り返った時、このような事が日々繰り返されているということは御座いませんか。 「知識は決して無にしてはいけまさんが、その知識の使いこなし、知識を生かしていく知恵、つまりはその根源となるものが無いといけない」とも、松下幸之助塾主は述べています。
 知識が進むほど問題が多くなって、知識と知識がいがみ合って、ケンカばかりしている。 学歴ばかりを積み上げている割には、本当の事が解っていない。 それどころか、逆に社会にとって悪影響を及ぼしている人がいかに多いことか。 偏差値重視の学校教育のなかで育ってきた私たちは、とにかく沢山の知識を持っている方が偉いと勘違いしがちです。 松下幸之助氏は小学校4年迄しか出ていません。 叩き上げの人生を送ってきた塾主は、「いまは知識が自分自身だと考えてしまっているが、私は知識がないから、そんな風にはならない。 楽な話です」と言っています。 つまりは、素直に物事に向かえるのだということです。
 今の社会に向き合う時、非常に大切な考え方だと思います。政治の社会でも同じことが言えると思います。 本当に国を、そして民を思う純粋な気持ちで政治に向かいあっている人が、どれだけいるのだろうか? と疑問に思ってしまいます。 知識に捕らわれ、いがみ合いばかりが前面に出てしまいます。 これは政治家だけの問題でなく、それを取り上げるマスコミ、そして、その情報を受け取る私達自身の問題でもあります。 知識に捕らわれるがゆえに、その本質が見えていない。 つまりは、不適切な表現かも知れませんが、あえて言わして頂くならば、社会全体がいまや知識の奴隷となりつつあるのではないでしょうか?

 こうした問題に如何に向かうべきは、それには教育の問題や、社会構造の複雑な課題が山積していますが、その根源は、私たち一人ひとりの考え方から始まります。 私たち四国政経塾は、松下政経塾のように選抜されたエリート集団ではありません。 ゆえに我々自身の少しの知識を如何に生かすか知恵を出して、自分なりのスタイルで、気軽に松下政経塾の教えを学び、個々のレベルで社会の問題点を把握し、地域の為に何が出来るか、又如何なる行動を起こすかを学んでいます。

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