第51番 いし    て     じ

ご詠歌
さいほうを よそとはみまじ あんやうの
てらにまいりて うくるじうらく



 四国観光のメッカだけに道後の湯治客もまじって賑わい、門前には名物の草餅を売る店が並び繁昌している。仁王門までの回郎は絵馬堂にもなって句や連歌、能役者などの名前を書いた額が納められている。
 縁起によれば、道後湯築城主河野息利の妻が男児を生んどがその子は生後三年たっても左の手がひらかず、安養寺の住職が祈祷したら手をひらき、「衛門三郎再来」の小石がころげ落ちた。その子は息方と名づけられ十五歳で家督をついだが、この子こそ天長八年十月、十二番焼山寺の山中で亡くなった衛門三郎の生まれかわりなのである。やがて安養寺を石手寺に改め、この石は寺に納められた。寺の草創は聖武天皇の神亀五年(七二八)伊予大守越智玉純が勅を奉して鎮護国家の道場として伽藍を建立し、安養寺と名づけたことにはじまる。ご本尊の薬師如来は天平元年(七二九)行基菩薩の開眼。現存の本堂、三重塔、仁王門、鐘楼堂などは鎌倉末期の再建。
本尊真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


名称 熊野山 石手寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
住所 愛媛県松山市石手2−9−21
Tel  089−977−0870
駐車場 ※民営駐車場4ヶ所有料
 普通車 200台
 マイクロバス・大型車 50台
交通
徒歩 繁多寺→石手寺 約 35分 2.9km
 車      〃     約 11分 3.6km
宿坊なし









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