名称 俗名 本尊 説明・いきさつ等 場所
八葉山 東朴院 一番奥ノ院
種蒔大師
薬師如来 開基は行基菩薩。大同二年弘法大師は自ら米麦の種をまき民衆の幸福を祈願して修法された。菩提の善種をまかれたのである。それ以来種蒔大師という。 霊山寺より三キロのところにあり鳴門から霊山寺への途中にある。
鳴門市大麻町大谷
五百羅漢 五番奥ノ院 釈迦如来 安永年間に実聞・実名の僧が釈迦如来と十六間四面の大塔の建立を発願しその後完成した。 五番地蔵寺より二百メートルほど上の高台にある。コ字型の建物の中に五百の羅漢がまつられている。
徳島県板野町羅漢
柳水庵 やなぎのみずあん又はりゅうすいあんともいう 弘法大師 弘法大師は巡錫の途中この地で休息されたが、水のないことを感じられ、柳の枝を持って加持し、清水が湧出たので一宇を連立した。 十三番藤井寺から十二番焼山寺への途中海抜五百十一メートルの所にあり、通夜堂もある。左右内峠へはここから二・九キロ
徳島県名西郡神山町松尾
一宿山
一本杉庵
一本杉 阿弥陀如来 弘仁年間、弘法大師は巡錫の折、疲労のあまり木の根元で休息された。ところが夢に阿弥陀如来が示現されたので尊像を刻み、堂宇を建立し杉を植えられた。 柳水庵から左右内峠頂上へ登ると一本杉庵の石段の前へ出る。ここに杉の大樹があり、修行大師の銅像がある。
徳島県名西郡神山町左右内
杖杉庵 つえすぎあん又はじょうしんあんともいう 弘法大師
衛門三郎
遍路の元祖衛門三郎がこの地で倒れ弘法大師は小石に「徹門三郎再来」と書いて三郎の左の掌に握らせてやると三郎は大師を拝みつつ往生したという。 十二番焼山寺から一・五キロ下った所にある。老杉と三郎の墓石がある。
徳島県名西郡神山町下分上山
慈眼寺 二十番
奥ノ院
十一面観世音 弘法大師が末世衆生のための結縁灌頂の秘法を修された旧蹟。大師作の十一面観世音が安置され、もと鶴林寺塔中七院の一院であった。また禅定窟(鍾乳洞)は大師の灌頂ご修業の道場。 二十番鶴林寺麓の生名よりバスで板木正木峠まで行き海抜千メートル山上にある寺まで登る。山路三・六キロ。
徳島県勝浦郡上勝町正木
八坂寺 鯖大師 弘法大師 弘法大師は馬子の持っている塩鯖を乞れたが、馬子は断わった。ところが急に馬が動かなくなったので馬子は反省して一尾の鯖を差し出した。大師は塩鯖を加持して蘇生させ海へ放してやった。 二十三番薬王寺から二十四番最御崎寺への途中にある。薬王寺より二十六キロ。牟岐から十一・五キロ。バス停鯖瀬から歩いて三分。
徳島県海部郡海南町浅川中相
妙色山 
 安楽寺
三十番
奥ノ院
阿弥陀如来 明治四年の神仏分離で三十番善楽寺が一時廃寺となり弘法大師作のご本尊を二十九番国分寺移し、同九年安楽寺に安置した。昭和十七年にはその後復興した善楽寺へ三年以内にご本尊を移すことに決めたが、そのままになっている。 高知駅から五百メートルのところにある。近くに瑞応寺の高僧薫的和尚をまつる薫的神社がある。
高知市羽ヶ島町
竜光院 四十番
奥ノ院
十一面観世音 四国霊場の開設記念に、大師は港口九島に願成寺を建立し自像を安置された。その後渡海の労を感じてこの地へ移されたという。 宇和鳥駅より徒歩二分、駅前広場を通り抜けて宇和島バスの前を行けば左手の高台にある。
愛媛県宇和島市丸穂
十夜ケ橋
永徳寺
十夜ケ橋 弘法大師 弘仁年間に弘法大師はこの地を巡錫されたが、日暮になっても宿を貸すものがなく、橋の下で一夜を明かされた。寒気きびしく一夜が十夜にまさる思いをされ「行きなやむ浮世の人を渡さずば一夜も十夜の橋と思ほゆ」とよんでいる。 大洲から内子への途中にある。バス八分、十夜ヶ橋下車、橋のたもとに大師堂があり、現在はコンクリートの橋。
愛媛県大洲市徳ノ森
金山
 出石寺
出石寺 千手観世音
地蔵菩薩
大同二年弘法大師はこの道を巡錫し、本尊と不動、愛染、日光・月光の諸仏を刻んで安置し、護摩供を修された。朝鮮の鐘がある。 出石駅から伊予鉄バスで郷ノ峠へ下車後徒歩六百メートル(山路)帰りは郷の峠よりバスで八幡浜駅へも出られる。
愛媛県喜多郡長浜町
大法山
 徳盛寺
文殊院 地蔵菩薩 遍路の元祖・衛門三郎の故宅あと大師が托鉢に来ても三郎は追い払ってしまった。その時大師の鉄鉢は八つにわれた。やがて三郎は八人の子供を失い懺悔して大師を慕い家を出るのである。 八坂寺から〇・七キロのところにある。御堂と納経所があり、近くに八人の子供を葬った八塚がある。愛竣県松山市久谷恵原
生木山 
 正善寺
生木地蔵 延命地蔵菩薩 弘法大師が当地を巡錫の折、生木の楠の大木に地蔵菩薩の尊像を一夜で刻まれた。大師は未完成のまま出発されたともいう。 昭和二十九年の台風で楠の老木は倒れたが、生木地蔵尊は無事で現在ではここにお堂が建てられている。横峰寺への途中にあり壬生川駅からバスがある。愛媛県周桑郡丹原町
摩尼山 
 延命寺
いざり松 延命地蔵菩薩  行基菩薩の開基。弘仁年間に弘法大師はこの地に松を植えられ、その後再び巡錫したときいざりの男がこの松の下で苦しんでいた。大師が紙に六字の名号を書いて加持して飲ませたら足がたった。 土居駅から五百メートルのところにある。境内には松の老樹があり、現在枯れているが保存されている。堂宇も整っている。 この寺の「千枚通し」は有名。
愛竣県宇摩郡土居町
邦治山
 常福寺
椿堂 延命地蔵菩薩 悪病に犯された人をあわれんだ大師は千枚地蔵流しの秘法を修されて成仏させ、金剛杖を大地について悪病を封じた。この杖から椿の枝葉が芽生えた。 現在の椿は安政六年の大火で焼けた霊木から芽生えたもの、三角寺から雲辺寺への途中にあり通夜堂もある。
愛媛県川之江市川滝町椿堂
屏風浦
 海岸寺
屏風浦の大師 聖観世音 大同二年弘法大師の開基。大師誕生地の紛争(文化年間)で海岸寺は大師母公の別荘で産屋に相違ないが父君の本邸を以て降誕所とするの理解書が出て当寺を出化初因縁の霊跡と命名した。 大師の産たらい、産湯の井戸、湯手掛の松がある。広大な境内と大規模な建物があって遍路の宿泊の要望にこたえている。近くに奥ノ院があり、大師のご両親の像がまつられている。
香川県多度津町白方
医王山 七仏寺 七仏薬師 七仏薬師如来 弘法大師は五穀豊穣と衆生の疫病の厄を除くために七仏薬師如来を刻まれた。また西行法師はこの近くの庵に住み「月みよといもの子とものねりしをおこしに来たか何かくるしき」とよんでいる。乳薬師の額あり 弥谷寺から曼茶羅寺へ徒歩でいく途中にある。池の近くに薬師堂があり、堂前に西行法師の歌碑がある。
香川県善通寺市吉原町
捨身ケ嶽 七十三番
奥ノ院
釈迦如来 七歳の弘法大師は山項に登って諸仏に念じ「多くの人々に幸せをもたらすために仏道に入りたいがそれをかなえて下され、かなえられなければ一命を捨てて諸仏に供養する」と断崖絶壁から谷底へ身を投げるが、釈迦如来が示現して救われるのである。 海抜五百メートルあまりのところにあり、山路一・八キロの登り。本堂には釈迦如来のほかに不動明王と弘法大師がまつられている。
香川県善通寺市吉原町
高野山 金剛峰寺
 奥ノ院
弘法大師 嵯峨天皇の弘仁七年、弘法大師によって開創された真言宗の総本山。大師は承和二年三月二十一日六十二歳で入定されその御廟が奥ノ院。 遍路は昔から奥ノ院に詣でてから四国に渡って巡拝し、結願の後にお礼まいりに高野山へ登る。和歌山・橋本経由で登山できる。ドライブウェーもある。

 四国ネット        第1番 霊山寺へ      徳島の霊場へ      第3番 金泉寺へ