本気の命がけ

 松下幸之助塾主が、松下政経塾に一期生を迎えたのは、一九八〇年、八五歳のときでした。八十歳を過ぎて次代を担う指導者を育てるという大きな構想を練り上げ、私財七十億円を投じて松下政経塾を立ち上げるという、並々ならぬ思いがあったのだろうと想像できます。其の原点が、故松下幸之助塾主が本気で日本の将来を心配し、日本に対する危機感がこの様な行動に繋がったと思います。
 第一期生の入塾式に臨んだ松下幸之助は、そのころ必ずしも体調が良いとはいえず、入塾式前日には風邪で熱を出し、周りのものは皆、行くことを止めているにもかかわらず、松下幸之助塾長は無理を承知で出席されました、八五歳にして風邪で発熱していたにもかかわらず、無理を通して式典に出席すれば、どんな事態が予想されるか、誰にでも想像のつくことです。しかし、松下幸之助塾長は、予定通り来塾し、入塾式で式辞を述べ、その後の記者会見も無事済まされ、塾頭が「本当にお疲れ様でした。お体は大丈夫ですか」と尋ねると、松下幸之助塾長から返ってきたのは、次のような言葉でした。
 「本当はね、僕もあかんと思ってた。しかしね、もし開塾式で倒れたとしても、僕は本望やと思たんや」と。後に塾生にも、あのときは、「これで死んでもええわい。きょうだけは行こう」という思いで出席したと語っています。
 人間はこの世に生まれるにはその人しか出来ない役目が有ると言われています。松下幸之助塾主の役目をはたした一日だったと思われます。
 本気で物事をやり遂げる勇気とは、自分の本分、つまり自分にしか歩けない道を、どんな困難にも負けず歩き続ける勇気と気力が必要と思います。
 現在、この世の中で様々な事業に携わっている人達は毎日の生活に追われ、松下幸之助塾主の様に将来の日本を思う気持ちを持っているか疑問に思われる。その象徴が今の国会、地方議会ではないでしょうか? 私達も少しは自分の地域の事を思い、皆で何が出来るか考えて見ては如何でしょうか、政治家だけに地域の舵取りを任すので無く本気で考える時期だと思われます。
 我々は日々年を取り、人生の終わりに向かって生活している事を自覚すれば、自ずと日々の生活態度、考え方、行動が変わって来ると思います。
 中には本気で命がけでの物事に取り組んでいる人が何人かはいると思いますが、自分の人生が一秒ごと終わりに近づいていると思えば、日々命がけで色々な物事に取り組む姿勢が変わると思います。
 本気で命がけで事を起こした人、そうした人だけが、最後に自分の歩んだ人生に満足出来るのではないでしょうか。故松下幸之助塾主が命がけで事業始め、世界の松下電器を立ち上げ、日本の将来を心配し、松下政経塾を開塾した行動を再度、自分にはどれだけ出来ているか、どんな形でも良いですから、一度立ち止まって自分の道を歩んでいるか如何か見詰め直し今まで以上により高い志を持ち行動を起こす時期だと思われます。

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